【番記者コラム】愛媛が最もJ1へ近づいた2015年――粉飾決算のピンチをチャンスに変えた指揮官のリバウンドメンタリティ

2020年05月02日 松本隆志

思い出されるC大阪との熱戦

厳しいクラブ状況の中、監督就任のオファー受諾した木山隆之監督。写真:滝川敏之

 対戦相手はC大阪。舞台はヤンマースタジアム長居だった。

 前半こそ手堅い展開で大きな波を起こすことなくスコアレスで折り返したが、後半になるとJ1級の戦力を誇るC大阪に押され、愛媛は防戦一方になった。それでも粘り強く守り、最終盤まで耐え、試合終了間際に訪れたCKに最後の望みを託した。相手の意表をついたショートコーナーに、ニアで内田健太(現・甲府)が難しい角度からボレーで合わせた。

"ついに来た!"
 
 筆者は記者席で勢いよく立ち上がり、両拳を突き上げようとするところだった。しかし、シュートはC大阪GKキム・ジンヒョンの身を挺したビッグセーブによりゴール寸前で阻まれ、振り上げた手でそのまま頭を抱えた。

 そしてタイムアップ。愛媛の選手たちは一様に膝から崩れ落ち、しばらく動くことができない。それはチームが全力を出し切ったことを意味するだけでなく、勝敗が決し、夢破れたことも表わしていた。

 2015年のレギュラーシーズン終了から6日後の11月29日、愛媛は悲願のJ1昇格を懸けてJ1昇格プレーオフ準決勝を戦うも、スコアレスドロー。レギュレーション上、リーグ戦上位であったC大阪の決勝進出が決まった。

 試合後「(J1昇格に)手が届くところまで行けたという悔しさを体感できた」と、西岡大輝はコメントを残した。

 悲願は叶わなかったが、ボトムハーフから一度も脱したことのなかった愛媛にとって、リーグ戦5位という過去最高成績を残したこのシーズンが最も"J1昇格"を肌で感じたシーズンであることは間違いない。加えて、就任1年目の木山隆之監督(現・仙台監督)の率いたチームが、クラブ史に大きな足跡を残したと言っても過言ではないはずだ。

 しかし、そのシーズンの始まりは胸のすくような快進撃とは対照的な難局の中にあった。

 チーム始動日直前に、2期にわたるクラブの粉飾決算が発覚。まさにチームが船出しようとしていた矢先、大きく視界を遮る暗雲が立ち込めたのだ。
 

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