【モンテディオ山形の転換点】怒涛の1か月。J1昇格に繋がった「ダービーでの敗戦とリベンジ」

2020年04月30日 嶋守生

選手たちに火をつけた指揮官の言葉

08年6月15日のみちのくダービーで仙台を下した山形。キャプテンの宮沢は18分に先制点をヘッドで決めた。写真:Jリーグフォト

 モンテディオ山形にとって時代の転換点をひとつ挙げるなら、J2からJ1へ昇格した08年になる。そのシーズンの昇格後、3年間J1に在籍しながらクラブの知名度を高めて環境を改善させた時代につながるが、それも昇格したからこそのものだ。

 08年の昇格に向かう原動力となったのは、5月から6月にかけてのリーグ6連勝。ダービーの手痛すぎる敗戦からリベンジを経て、当時の若手選手と新体制のチームが逞しく成長した1か月間だろう。
 
 今や「昇格請負人」と呼ばれる小林伸二監督が山形の指揮を執って1年目のシーズン。山形はまずまずの滑り出しを見せたが、エースの豊田陽平や主力ボランチの渡辺匠が怪我で離脱して戦力が手薄になると、当時21歳の長谷川悠や大卒2年目の佐藤健太郎、大卒ルーキー石井秀典など、経験の少ない若手が出場機会を増やしていった。

 そして迎えた5月18日の第14節、ユアテックスタジアム仙台で行なわれたベガルタ仙台とのみちのくダービー。その年の降格組である広島と甲府を撃破し勢いに乗っていた仙台に対し、山形は堅いブロックを構築しながらもラインを高く設定してボールを奪いながら攻め、前半のうちに2点を先制した。

 しかし後半になると流れが一転。後半立ち上がりに1点を返されると、2枚目の警告で退場者(宮本卓也)を出して数的不利に。リードはまだ1点あったものの、敵地の雰囲気に飲み込まれてしまった山形は、終盤一気に崩れて2点を奪われてしまう。若手の経験不足やチームとしての未成熟さも露呈しながら大逆転負けを喫した。
 
 この敗戦に誰よりも憤り奮起したのは小林監督だ。この年のJ2は15チームが3クール制で対戦するシーズンで、次の仙台戦まで5試合と近かったこともあり「次のダービーまで全部勝利する」と明言してリベンジを誓った。
 
 指揮官の激を受けて山形の選手達にも火がついた。開幕から仙台戦までの14試合で挙げた得点数と同じ16得点を、ダービーまでのわずか5試合で叩き出して、有言実行の5連勝。怒涛の勢いのまま2度目のみちのくダービーとなる、ホームでの仙台戦(6月15日)を迎えた。
 

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