FC東京に残る「J2降格の傷」。当時、石川が吐き捨てたひと言が…

2020年04月29日 馬場康平

ターニングポイントとなった山形戦

試合後に涙を拭う徳永の姿は忘れられない。写真:サッカーダイジェスト

 2010年12月4日、最終節の京都サンガF.C.との一戦。キックオフ直後、取材ノートに走り書きしたのは、「立ち上がり、選手に硬さ」のメモだった。

 その年のFC東京は開幕前から怪我人を多く抱え、得点力不足にも悩まされた。夏の移籍市場で長友佑都がセリエAのチェゼーナに期限付き移籍すると、泥沼の9戦未勝利が続いて残留争いに巻き込まれてしまう。大黒将志らを獲得して得点力アップを図り、シーズン途中の監督交代を決断したものの、最後まで袋小路を抜け出すことはできなかった。

 第32節終了時点で、FC東京と降格圏の16位ヴィッセル神戸との勝点差は3。得失点差は10離れていたため、第33節のモンテディオ山形戦で勝利すれば、残留を大きく引き寄せることができた。

 しかし、迎えたホーム最終戦で、東京は引いて守る山形の守備に大苦戦。それでも、後半29分に平山相太がゴールをこじ開けて待望の先制点を手にした。

「このまま逃げ切れれば……」

 そう脳裏に浮かんだ試合終了まで残り5分、左サイドからFC東京のゴール前にクロスが放り込まれる。それを途中出場の田代有三に頭で決められ、同点に追いつかれてしまう。土壇場で勝利に見放されるシーズンを象徴するようなゲーム内容。今思えば、ここがターニングポイントだった。
 
 一方で、神戸は清水エスパルスに1-0で勝利し、最終節を残して勝点差は1に詰まった。それでも最終節に勝てば残留が決まる。優位な状況だったが、「勝たなければいけない」という重圧は選手の間に広がっていた。

 追い詰められたFC東京は、西京極で前半34分に失点すると、そこから重圧に押しつぶされて瓦解した。今野泰幸は「選手同士では落ち着こうと声を掛け合っていた」と言うが、攻撃は最前線の平山に目掛けたロングボールに終始。間延びしたチームはセカンドボールを拾われ、終了間際には追加点まで許してしまう。すでに降格が決まっていた京都に為す術なく完敗。試合終了の笛がなると、ピッチの選手たちはベンチを振り返った。大熊清監督の判断で、神戸の試合経過を知らされていなかったからだ。

 だが、ベンチ脇で泣き崩れている控え選手を見て、すべてを察知した。今野は「まさか」と言葉を失い、当時のキャプテンだった徳永悠平はその場で泣き崩れた。
 

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