「痺れた」「正直、頭に来た」恩師が忘れられない"ふたつの思い出”【室屋成のルーツ探訪/中編】

2020年04月23日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

何物にも代え難い財産となった出合いとは?

選手としても、人間としても大きく成長できた明大時代。プロになるためのベースがここで築かれた。写真:FC東京

 青森山田高に進学した室屋に転機が訪れたのは、高校1年の最後(11年3月)。この時に参加したU-16日本代表のキャンプが後の飛躍への足掛かりになった。

「『えっ、俺、(代表活動に)行くの?』って感じでした。どうやら黒田監督が推薦してくれたみたいです。『室屋っていう選手がちょいちょい活躍していますよ』って」

 当時、U-16日本代表のコーチを務めていたのが菊原士郎だ。現役時代は「天才」と謳われ、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の黄金期を支えたMFでもある。その菊原がどういうわけか室屋の実力を高く評価していたという。

「士郎さんのプッシュもあって、2011年のU-17ワールドカップに出場できました(4試合に出て日本のベスト8入りに貢献)。ただ、大会後に士郎さんから『お前のプレーを見ないまま代表に呼んだ』と言われました。どうも『室屋成』という名前を気に入ってくれたようで、それだけで呼んでくれたみたいです。本当かどうかは分かりませんが、いずれにしてもU-17ワールドカップに参戦できたのは大きかったです」

 室屋の才能を開花させた功労者のひとりが、当時のU-17日本代表監督の吉武博文だ。

「吉武監督がU-17代表の試合で僕をサイドバック(以下SB)で使ってくれて。凄い楽しかったです。『結構守備できるじゃん、俺』って気づかされる部分もあって。元々攻撃は得意だったし、体力にも自信がある。なにより走力が求められるポジションは正直、やりやすかったです」

 そこから室屋はSBとして本格的に目覚める。青森山田高でもそのポジションで不動の地位を確立。高校選手権優勝こそ成し遂げられなかったが、高校時代の3年間において"サイドバックとの出合い"は何物にも代え難い財産となった。

「1対1の局面でスライディングタックルを決めたり、本当に楽しかったです。高校時代は対人で負ける気がしませんでした。『仕掛けてくるなら来いよ』という感じで。サッカーを心から楽しむようになったのは、サイドバックに転向してからです」

 "プロへ"という意識が芽生え始めていたのもこの頃だ。それでも室屋は、大学進学により強いこだわりを持っていた。

「父親と母親に『大学で学んでほしい』とも言われていたので、高卒でプロに行くという選択肢はあまり考えていませんでした。東京の大学への憧れも少なからずあったので、サッカー推薦で明治大に行く決断をしました」
 
 プロになるための準備期間──。室屋は大学生活をそう捉えていた。サッカーが上手ければいいだけではダメ、人間力も磨かないとJリーグの舞台には立てない。漠然ながらそんな思いを抱いていたのである。当時の明治大・体育会サッカー部の監督である神川明彦も次のように話す。

「文字通りギラギラしていた。ここを足掛かりにJリーグに行くんだっていう気合いが全身から漲っていました。だから、室屋という素材を壊さないよう、持ち味を消さないよう、彼の望む世界に導いてやるのが私に与えられた命題でした」

 神川が室屋の才能に着目したのは、同大学の総監督だった井澤千秋(18年9月に死去。享年69歳)に「(青森山田高に)良い選手がいるぞ、サイドバックで、室屋っていうのが」と言われたからだった。そして神川は、12年12月31日の青森山田×野洲戦(高校選手権の1回戦)で室屋が躍動する姿をスタジアムで見て、確信する。「あれがうちのサッカー部に入るかもしれないのか、良い選手だな」と。ただ、同時に悪癖も見抜いていた。

「ユニホームを引っ張る反則については厳しく注意しました。『何をやっているんだ!!』と。明らかに故意的なファウルですからね。私も井澤さんも反則をしてでも止めろという教育はしていません。抜かれて失点したらそこまでの実力ということを室屋に伝えましたが、納得できなかったのか、彼は反抗的な表情をしていましたけどね(笑)。他にも相手を無駄に挑発したり、後ろからタックルしたり、ダーティーなプレーが目に付いたので、こっ酷く怒りました。天性のスピードがあるのになぜ抜かれるのか、足りない何かを見つけなさいと。その原因追及こそ大事で、反省もせずユニホームを引っ張るようでは成長など見込めないということを言いました」

 これは期待の表れでもある。「選手のハートに火をつけて闘争心を引き出すタイプ」と自らいう神川は、あえて室屋に厳しく接した。才能は本物、しかし天狗になってもらっては困る、そうした愛情があったからこそでもある。

「良い選手なのは間違いない。ただ、そういうことを彼が1年の時には言いませんでした。大学で磨くべきはなにより人間性です。技術、戦術云々よりも、ひとりの人間としてどう振る舞えばいいかを教えるほうが重要でした。大学を卒業したら社会人ですから。社会に出たらなにも言い訳できない。まずはそれを理解させたうえで、プロの話をしようかと考えていました」

 

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