【指揮官コラム】チェンマイFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|遅刻するタイ人ばかりじゃない!

2015年01月21日 サッカーダイジェスト編集部

自宅とクラブの往復だけでは気づかなかったこと。

タイ第2の都市であるチェンマイは、日本で言えば京都や奈良のような長い歴史を持つ古都だ。

 僕は今年50歳になる。親にしてみれば50でもまだ子ども。未だ心配のようだ。
 
 10歳になるまでにサッカーの虜になり、朝から晩までサッカー漬け。10代は、サッカーのことしか考えていなかった。そして10代最後にブラジルに渡り、挫折……。
 
 不安と明るい未来を想像しながら前だけしか見ていなかった20代を過ぎて、30代でやっとサッカーの「サ」の字が分かってきた。38歳で引退し、現役時代とは異なる世界からサッカーを見るようになり、40代半ばで指導者の道へ。そして50歳を迎える今年、タイでプロチームの監督としてスタートした。
 
 まだ40代ではあるが10代の頃と何も変わらない――。そう思う自分と、大きく変わった自分を実感しつつ、親の心配は心から感謝するが、もう子どもではない……。しかし、親にとってはいつまで経っても子どもなのか。タイで今にも暴れ出すとでも思っているらしい(笑)。親だけでなく、僕のことをよく知る周りの人たちは、皆、気になるようだ。
 
 なぜこんな話をしたかと言えば、チェンマイFCの監督に就任して2週間が経ち、僕自身タイという国やそこに住む人々についてある程度の知識を持つことができたのだが、それは、まだまだ偏った見方になってはいないか――。そんな思いが生まれたからだ。
 
 今週は、午前は8時から、午後は16時からの2部練習を3日間連続で行ない、選手、スタッフとの時間をできるだけ多く取れるようにした。一日一日、何が起こるか分からない不安と期待に満ちた刺激的な毎日で、良いトレーニングができた。
 
 そうした日々の合間のオフに、コーチであるナア(NA)からチェンマイにある寺院に行かないかという誘いを受け、行くことにした。吉岡アシスタントコーチとともに3人でランチをとった後、山の上の寺院(ワットファイヒン)に向かった。
 
 タイ第2の都市であるチェンマイは、日本で言えば京都、奈良のような古都で、数多くのお寺があり、たくさんの観光客が参拝していく。僕たちはナア・コーチに誘導され、お花、お線香3本、ロウソク、金の紙を順に奉納し、チェンマイでの飛躍を祈願しつつ、タイ式の参拝をした。
 
 疲れはないと言ったら嘘になる。ただナア・コーチの言葉に従い、行って良かったなと思う。改めてタイの良さが見えたのと同時に、彼の思いやりに触れることもできたからだ。
 参拝のお供え物は、すべてナア・コーチが用意してくれたのだが、あとでお金が掛かったものは自分で払うからと言っても、「何を言うんだ」と受け取らない。それどころか、そんなはずはないのに、「まったくお金は掛かってない」などと言ってくる。
 
 正直なところ、僕はコーチとしてのナアが、まだまだ足りない部分があるのを知っている。気を利かせた言動や、先を見据えて準備することなど、コーチとしての資質をすべて備えているわけじゃない。しかし、人への思いやりや誠実な心があるのは間違いない。これは自宅とクラブを往復する毎日だけでは、気づかなかったことだ。

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