「君はプレー出来ないと言われて…」香川真司がマンU退団の舞台裏を赤裸々告白! 名将からの戦力外通告で――

2020年03月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

状況が一変したのは2年目

活躍が期待されたマンチェスター・ユナイテッドでの日々を香川が振り返った。 (C) Getty Images

 今シーズンからスペイン2部のサラゴサに活躍の場を求めた日本代表MFの香川真司が、米メディア『The Athletic』のインタビューで約2年間在籍したマンチェスター・ユナイテッド時代を回想した。

 大きな期待を背負っての移籍だった――。

 2010年の夏にセレッソ大阪からドルトムントへ完全移籍した香川は、ユルゲン・クロップ監督(現リバプール)の薫陶を受け、瞬く間にチームにフィット。中盤の絶対的なレギュラーとして君臨し、ブンデスリーガ2連覇に大きく貢献した。

 その活躍が名将アレックス・ファーガソンの目に留まり、香川は12年の夏にマンチェスター・ユナイテッドに移籍した。世間から大きな注目を浴びることになった日本代表MFは、初年度で公式戦26試合に出場して6ゴール・6アシストと1年目としてまずまずの結果を残し、プレミアリーグ制覇に少なからず貢献した。

 その状況が一変したのは、さらなる飛躍が期待された2年目だった。

 監督生活にピリオドを打ったファーガソンの後を受けたデイビッド・モイーズ監督(現ウェストハム)が、フィジカルに重視したサッカーを採用したため、技巧派の香川の出場機会は激減。そのモイーズが成績不振で解任され、OBのライアン・ギグスが暫定監督に就任してからも、満足のいく出場機会を得られず……。

 結局、ルイス・ファン・ハール監督が就任した14-15シーズンの開幕直後に古巣ドルトムントへの復帰を決断した。

 ユナイテッドの2年間を振り返った香川は、「僕は常にプレーしていたかったけど、試合に絡めなくなってそれができなかった」と語り、自身のパフォーマンスに度重なる監督交代が影響したことを明かした。

「モイーズが解任され、次々と監督が変わり、たった2シーズンで4人の監督と一緒になった。加入した時は25年間にわたり、チームを率いた(ファーガソン)監督がいたけど、その後、モイーズ、ギグス、ファン・ハールが指揮を執った。

 僕自身、ブラジルでのワールドカップでうまくプレーできず、日本代表もグループステージ最下位で敗退してしまっていた。だから、自分のベストを取り戻すために、新たな挑戦の必要性を感じていた」

 そんな香川にユナイテッドを去ろうと決断させたのは、当時、指揮を執っていたファン・ハールの事実上の"戦力外通告"だった。

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