「若手が彼の言葉に震えた」突然の引退を決断したデ・ロッシは、ボカに何を残したのか?【南米サッカー秘蔵写真コラム】

2020年01月26日 ハビエル・ガルシア・マルティーノ

13年前の“邪魔だった”若僧が――

出場機会は少なかったが、デ・ロッシがこの短期間でボカに残したものは計り知れないという。 (C) Javier Garcia MARTINO

「レレ」ことダニエレ・デ・ロッシがボカ・ジュニオルスから退団すると知った時、私は汗だくになりながらチームの夏期キャンプの写真を撮っていた。

 いつもならチームの誰よりも早く練習場に現われる彼がいなかったため、おかしいなと思ってはいた。医務室にいるのか、それともジムで別メニューのトレーニングをしているのか。しかし、怪我をしたという話も聞いていなければ、前夜のホテルでの夕食のときも仲間たちと冗談を言いながら大笑いしていたし、特に変わった様子はなかった。

 突然、動画を撮影していたスタッフがピッチの向こう側にある木陰を指差した。そこには、私服で練習風景をじっと見つめる彼の姿があった。

 その時だった。ポケットに入れてあったスマホが着信を告げる音が鳴る。クラブの内部通達で届いたメッセージは、「デ・ロッシがボカを退団して引退する」ことを知らせるものだった。

 昨年7月にボカ入団が決まった時、恥ずかしながら、そのデ・ロッシという選手が一体誰なのかわからなかった。妻から「2006年のドイツ・ワールドカップで写真を撮ったじゃないの」と言われてやっと思い出したのだ。

 そういえばイタリア代表の試合前の国歌斉唱時、トッティとピルロの間に名前も知らない若い選手がいて、無礼にも「あいつ邪魔だな」と愚痴ってしまったことがあった。その若者がデ・ロッシだったのだ。あれから13年、あの時の若僧の写真をボカで毎日撮ることになるとは一体誰が想像できただろう。

 ボカに在籍したのは、ほんの5か月。怪我のあと、とにかく試合に出たい一心で無理をしたために回復が遅れてしまい、出場は7試合だけとなった。彼は退団会見で、「私がボカに残したものよりも、ボカの人々が私に与えてくれたものの方が多い」と謙虚に話していたが、それは違う。

 この5か月間、この元イタリア代表MFが口を開けば、チームメイトたちも、監督も、スタッフも、みんな耳を傾けた。練習場で、試合前のアップで、食事の席で、空港の搭乗口で、移動のバスの中で、いつでもどこでもチームの中心だった。ローマで600試合以上プレーしたベテランの言葉には重みがあり、説得力があり、学びの要素が溢れていた。

 よく「サッカー選手はピッチの中で答えを出す」と言うが、彼の場合はピッチの外でも周りを納得させ、安心させ、感心させるオーラを放っていた。この短期間にボカの人たちが彼から得たものは計り知れないのだ。

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