山形をJ1に導けるか? 徳島戦のキーマンは「一番下からのスタート」だった大卒ルーキー

2019年12月07日 頼野亜唯子

大学4年になってもプロから声がかからず…「プロになれないかもしれない」とも

大宮戦では二つのゴールを演出して勝利に大きく貢献した坂元。徳島戦でも前線のキーマンとなりそうだ。写真:徳原隆元

 J1参入プレーオフ1回戦。一戦必勝の大舞台でも、坂元達裕の切れ味が鈍ることはなかった。深い切り返しで相手をかわし、自分とボールをフリーにしてスペースに突進していく。リーグ6位の立場で3位大宮アルディージャのホームスタジアムに乗り込んだモンテディオ山形のルーキーは、大一番の空気に圧されることもなく、むしろ、引き分けでは敗退という緊張感に磨かれたように輝いた。

「数的不利の場面でも、ドリブルで外していく自信は持っている。そこはいつも通り出せたと思います」

 今季7ゴール・3アシストのドリブラーを、大宮が警戒しなかったはずはない。だが、抑えにかかるCBやボランチを引き付けてかわし前を向く。バテない坂元は試合時間の経過とともに対峙する相手との優位を広げ、82分には拾ってかわして前線へフィード。チームの2回戦進出を決定づける2点目の起点になった。

 東洋大から今季加入した坂元は、開幕戦で途中出場してプロデビューを飾ると、以降リーグ戦全42試合に出場している。3トップの右シャドーとして、ドリブルを武器にした攻撃はもちろん、「大学の時はまったく考えずにやっていた」という守備についても見る見るうちに学んで身につけてゆき、木山隆之監督の信頼を得て重用された。今となっては欠くべからざる主力だが、加入当初はそれほど注目されていたわけではない。

 そもそも、山形への加入でさえ「滑り込み」だったと言える。大学4年になってもプロから声はかからず、プロにはなれないのかもしれないと思い始めた頃、東洋大の古川毅監督がかつて山形でプレーしていた縁で「練習参加させてもらえるようお願いしてもらった」(坂元)。

 その細いチャンスを掴んでスタートしたプロ生活も、本人曰く「キャンプは一番下からのスタート」だった。何もできずに終わった最初の練習試合でプロのレベルを肌で感じ、最後尾にいる自分の立ち位置を自覚する。ただ、坂元にとってその危機感は極上の燃料になった。「今は自分が一番下。だからあとは昇るだけ」と、アピールのチャンスが来る度に何かしらの爪痕を残してみせた。

 山形で3年目の指揮を執る木山監督が、今季から新たに招いたエルシオフィジカルコーチのトレーニングも、坂元の能力を引き出した。「地獄のような走りを経験して、毎日、足が取れそうなくらい筋肉痛だった」というキャンプを経て体力がつくと、余裕ができてプレーの幅も広がった。「大学時代はドリブルでぐいぐい行く感じでもなかった」という言葉はにわかには信じがたいが本人の弁。ドリブル突破も裏に抜けるプレーも自分の武器と思えるようになったのはプロ入りしてからだ。

 長いシーズンの間には、疲労やきついマークのために勢いを削がれた時期もなくはなかったが、それも最小限。38節・愛媛戦では1試合2本の超ロングシュートを決めた一人として話題を呼ぶおまけもついた。結局は年間を通してチームに貢献し、プレーオフの舞台に立った。
 

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