新・清水三羽烏になれなかった西澤健太、トップ昇格できなかった当時は「複雑な想いでしたけど…」

2019年10月25日 古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)

「トップに上がりたい気持ちで6年間プレーしてきたので…」

今季18試合に出場し、7ゴール・3アシスト。西澤はプロ1年目ながら左サイドハーフで主軸に定着している。写真:徳原隆元

 9月のJ1月間MVPを獲得した清水エスパルスの西澤健太。26節の名古屋戦と、続く湘南戦で2ゴールずつを奪うなど、2試合で4ゴール・2アシストを記録し、チームを連勝へと導いた。そして今季、記録している7得点のうち4ゴールが決勝点となっている。今季加入したルーキーながら、いまやチームに欠かせない存在だ。

 そんな西澤は中学から高校を卒業するまで計6年間、清水の育成組織でプレー。ただ、ユース時代の同期の北川航也(現・ラピド・ウィーン)、水谷拓磨、宮本航汰(現・岐阜)が新・清水三羽烏と称され、トップ昇格を果たした一方で、西澤はプロ入りを見送られ、筑波大へと進学した。

 西澤がトップ昇格できなかった当時を振り返る。

「もちろん悔しかったですし、トップに上がりたい気持ちで6年間プレーしてきたので、複雑な想いでしたけど、同期の昇格した3選手(北川、水谷、宮本)に比べると自分に特長がないと分かっていました」
 
 ただ、不思議と悲壮感はなく、「(トップ昇格できなかった同期は)皆受け入れていた」という。なぜなら先ほども言ったように「(プロになった3人が)本当にすごい選手だったので、諦めもついた」からだ。そして「(3人にはない特長を)大学の4年間で見つけられるかをテーマに頑張ろうと思えたので、そこは良いモチベーションをもらえた。僕にとっては大学進学のほうが向いていたのかな」と今となっては思えるようになった。

 大学では毎日のように先輩を捕まえてはクロスやシュート練習を欠かさなかった。そして、プロでも通用するキック精度とゴール前へ入っていく推進力を身に付け、4年後に再びオレンジのユニホームに袖を通す権利を勝ち取ったのだ。

「(4年ぶりに復帰が決まって)もちろん嬉しかった。自分が大学でやってきたことが間違ってなかった、と再確認できました」

 まだまだプロ1年目。それでも、クラブの顔とも言える北川が7月に移籍したいま、アカデミーで育った西澤への期待は高まるばかりだ。スタート地点に立った23歳のアタッカーの成長から目が離せない。

取材・文●古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)

※本記事は、サッカーダイジェスト11月14日号(10月24日発売)掲載の記事から一部抜粋・加筆修正したもの。
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