【あの日、その時、この場所で】川淵三郎/前編 Jリーグは2DKの一室から始まった

2019年10月17日 増島みどり(スポーツライター)

「そこがJリーグの、本当に最初の場所」

Jリーグ創設当時に作ったブレザーに久しぶりに袖を通した川淵三郎キャプテン。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)協力:住友不動産

 ゴールは果てしない。しかし日本代表が7大会連続出場を狙うW杯2022年カタール大会のアジア2次予選はもうスタートした。「ドーハの悲劇」(93年アジア最終予選イラク戦)にピッチで打ちのめされたMF、森保一(51歳)が、四半世紀を経て、日本代表を率いて同じカタール・ドーハにたどりつこうとしているのも不思議な巡り合わせだ。
 
 Jリーグの開幕は1993年5月だが、プロリーグを発足させるため「プロリーグ準備検討委員会」が初めて設置されてから、実は今年でちょうど30年となる。
 
 準備室長からJリーグ初代チェアマン、チェアマンから日本サッカー協会会長と、日本サッカーを昭和、平成とけん引してきた川淵三郎キャプテン(82歳)が令和を迎え、歴史の原点となった場所を再訪し、改めてそれを留める「あの日、その時、この場所で」。
 
 川淵が「最初の事務所」と形容した九段コーポラスからスタートする。(文中敬称略)
 
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「そこがJリーグの、本当に最初の場所」と記憶に刻む「九段コーポラス」跡地に立ち、外堀通りに近い坂下から靖国通りに続くなだらかな坂を確認するように川淵は少し沈黙し、クスリと笑った。
 
「それにしても、全く懐かしくないなぁ」
 
 同マンションは08年、すでに11階建ての「住友不動九段北ビル」になっており、当時の面影と呼べるようなものは周囲にも何ひとつ残っていないのだから無理もない。
 
 1989年6月、日本サッカー協会はプロ化を目指して「プロリーグ準備検討委員会」を設置。13回もの同検討委員会を経て、91年2月には「オリジナル10」と呼ばれるリーグ最初の10クラブが決定し、3月「プロリーグ設立準備室」が立ちあがった。
 
 その時、Jリーグのプロモーションを担う博報堂の紹介で「初めて構えた、本当に最初の事務所らしきもの」(川淵)が、九段コーポラスの一室だった。
 

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