J下部組織で育った32歳はなぜ香港代表を目指すことになったのか? 中村祐人が帰化という選択をした理由

2019年10月10日 佐々木裕介

「当初は逆輸入でっていう思いもありましたけど次第になくなりました」

香港でプレーする中村。今後は代表定着を目指していく。写真:佐々木裕介

 6歳でJリーグ開幕を目の当たりにした少年は、いつか同じ舞台に立ちたいとボールを蹴り続けた。そして21歳で憧れのプロフットボーラーになれたが、そこは夢見たJの舞台ではなかった。代表選手にも選ばれたが、シャツの色はサムライブルーではない。

 彼の名は中村祐人、32歳。選手生活のほとんどを香港で過ごし、昨年10月には香港永久性居民として査証を取得し、香港代表にも選出された。しかし何故、決してサッカーが強いとは言えない香港だったのだろうか。未だ終息が見えない大規模デモの影響で揺れ動く香港で、彼の歩みを聞かせてもらった。

――◆――◆――

――2009年1月1日に初めて香港へいらしたそうですね。
「はい。あの時に感じた高揚感がいまでも生きているんです。香港って何でもスケールが大きいんですよ、クラブ経営もそうですし、街の雰囲気もそう。常に刺激をもらえる場所なんです」

――香港でのプレーが延べ9年目。しかし何故、ここまで長く香港での挑戦を続けてこられたのでしょうか?
「単純に香港が好きなのが一番かな。プロ選手になれたのが香港で、ポルトガルへ移籍して苦しんでいた時に声を掛けてくれたのも香港(TSWペガサス)、また半季チームがなく気持ちが落ちていた時に手を差し伸べてくれたのも香港(シチズンFC)だった。3度も救われているんです。香港は私にとって縁深い土地で、香港人として生きていきたいという思いからです」

――"日本へ戻ってプレーする"選択筋もあったかと思うのですが。
「当初は逆輸入でっていう思いもありましたけど次第になくなりました。3度目に香港へ戻って来た時には、香港人になって香港代表に選ばれたい気持ちが強くなっていましたから」

――なるほど。その香港での挑戦、何か目標とされてきたことは?
「外国人が結果を出し続けながら7年(香港永住権が取得可能な継続滞在年数)やりきり香港人になることって、大きなチャレンジだと思ったんです。サッカー選手として何か成し遂げたいなという思いもあって、そこを目標に据えました。帰化して香港代表にも選んでもらえて、いまは何度も助けてくれた香港にプレーで恩返ししたくて頑張っています」

――昨年10月には香港代表にも初招集、国際親善試合(インドネシア戦@インドネシア・ブカシ)に出場しました。
「あの時は追加招集だったんです。イミグレーションで香港パスポートをもらって、協会へ報告連絡して直ぐでした。ちょうど怪我人が出て、ならばと監督(ギャリー・ホワイト/前東京ヴェルディ監督)が私を呼んでくれたんです。なので、どこへ行って試合をしたとか全く分からずでしたから。ジャカルタの空港からバスで結構離れた場所まで行ったことだけは覚えています(笑)。あれ以来、代表へ呼ばれていないので、もっと頑張らないと。でも選んでもらえれば貢献できる自信はありますから」

――香港代表も2022年ワールドカップ・アジア予選に挑んでいますが、状況は気になりますか?
「結果は目にしますが、試合は観ていないんです。やっぱり選ばれていないことが悔しくて」
 

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