【三浦泰年の情熱地泰】ブラジル編|プロの世界に「パワハラ」は存在しないと僕が思うワケ

2019年08月21日 サッカーダイジェストWeb編集部

本物のプロにはメンタルの強さがなければならない

ブラジルは現在、コパ・リベルタドーレスの熱戦も展開されているシーズン真っ只中。三浦氏はブラジルで本場のプロの凄みを体感する毎日だ。(C) Getty Images

 今の世の中、本物と偽物の区別がつかなくなっている。
 
 数年前、タイで監督をやっている時に、こんなことを聞いた事がある。偽物を作っている人が大きな企業を買収したと。
 
 どうやら、偽物の方が売れてしまった、という事らしい。偽物が本物を買ったのだ。海外へ行くとよく分かる。コピー社会が根付いている国とそうでない国。アジアの他の国などではコピーを頻繁に目にしたし、当たり前のようにも感じ取れた。
 
 しかし日本は違うと思っている。本物志向でなければいけない。いや、本物でなければいけない。
 
 例えば、プロサッカー界の本物とは何か? サッカーが上手いとかスピードがあるとか身体能力が高いとかではない。
 
 本物のプロとはパフォーマンスが高い事は当たり前、大前提にある。
 
 そこにメンタルの強さがなければならない。もちろん持論だが、いま僕の住むブラジルでは当然の事だ。
 
 メンタルとは日本語で言えば精神。精神の強さが本物のプロという事だ。だから精神の弱い選手、スタッフはプロではない。
 
 ブラジルのプロの世界では、「パワハラ」は存在しない。精神的、身体的に苦痛を与えること(もちろん暴力とは異なる)に耐えられないプロは、ブラジルにはいない。そして、そのプロの精神とはスポーツと一般社会とに、ブラジルでは分けていない。
 
 それだけ国が裕福でなかったということで、誰もが生き残るのに必死であり、誰もがハングリーであるという意味だ。
 
 僕が18歳の時に足を踏み入れたブラジルのサッカー界では、15歳でも周りよりも下手だったら次の日には、もうクラブにはいられなかった。
 
 監督もスタッフも選手もミスをすれば、期待以下であれば、次の日には契約を打ち切られた。
 
 サンパウロの僕の友人が言っていた。それはサッカーだけでなく企業も同じだと。終身雇用ではなく、実力で評価される。ダメなら解雇。
 
 しかし、日本と大きく違うのは、彼らの感覚で「クビ」という概念はない。日本では解雇の事を「クビ」と言うが、それは間違えていると言う。
 
「解雇」とは決してその人の首を取られた訳ではなく、終わりではないという。次のステージ、職場を探して、またトライするだけ。人のせいにしている時間はないのだ。
 
 そうなるとプロスポーツ界。僕にとっては、サッカー界とはそれ以上に厳しい世界となる。
 
 弱い精神の選手など存在してはおかしいであろうし、厳しさに耐えられないスタッフや選手がいてはいけない。スポーツの世界でのプロが精神的に弱ければ、自ら辞めるべきだ。
 
 それがプロを目指す世界だし、だからこそブラジルではサッカーは本物であり、愛する人がたくさんいる。
 
 監督となると、もっと厳しい。ホームで1分2敗という成績なら、解雇になる事が多々ある。もちろんそんな事ばかりではないが、真剣に本気で覚悟を決めてやらなくてはいけない。厳しさがなければ監督をやれないのは、当たり前の事だ。
 

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