「初めて芝でプレーしたのは14歳」「万引きで補導」アーセナル加入の“100億円男”ニコラ・ペペの知られざるシンデレラストーリー【現地発】

2019年08月12日 エル・パイス紙

1年前にリヨンからの好条件オファーを拒否

今夏にアーセナルへ加入したペペ。開幕戦で途中出場を果たし、プレミアデビューを飾った。(C)Getty Images

 いまから約1年前、残留争いに巻き込まれていたリールがトゥールーズへの遠征に向かっている最中、緊張感を漂わせる周囲を尻目にひとりだけ平然とした表情をしていた選手がいた。二コラ・ペペだ。

 そのメンタルの強さがプラスに働いたのだろう、そのトゥールーズ戦でペペは先制点とラスト8分での決勝点の2ゴールを決める活躍を披露。この勝点3の獲得によってリールはリーグ・アン残留に向けて大きく前進した(最終的に17位で残留を達成)。

 それから数週間後、彼の元にはリヨンから獲得の打診が届いた。移籍金は3000万ユーロ(約38億円)、サラリーもリールで受け取っていたものと比べて3倍という好条件だった。

 しかし、「リールに来たのは僕自身が成長するため、そしてクラブを高みに導くためだ」という本人の強い意思が決め手となってオファーを拒否。そして昨シーズン、ペペはまさに有言実行でパリ・サンジェルマンのキリアン・エムバペに次ぐリーグ・アン2位の22得点を挙げ、チームの2位フィニッシュ、チャンピオンズ・リーグの出場権獲得に大きく貢献してみせた。
 
 もちろんクラブは新シーズンに向けてエースの残留を希望していたが、1年前の経緯があるだけに無理に引き留めるわけにはいかず、今月1日にクラブ史上最高額の移籍金8000万ユーロ(約100億円)でアーセナルへの移籍が決定した。

「とても感動している。ここに到達するまで簡単ではなかっただけになおさらね。試練の連続で長い道のりだった」

 第一声でこう語るように、ペペは厳しい環境で生まれ育った苦労人だ。両親は1990年にコートジボワールからフランスに移住。その5年後にペペは生まれた。現在代理人を務める父親はパリにある刑務所の警備員、母親は家政婦をしながらなんとか生計を立てていたが、家に蓄えは全くと言ってなく、ペペにとってはサッカーが唯一最大の娯楽であった。

 しばらくして一家がフランス西部のポワチェに移住するとともに、生活はいくらか好転。ペペも地元のクラブに入団した。ペペの才能を発掘したというフィリップ・ルクレールは「14歳でここに来るまで芝のピッチでプレーした経験すらなかった」と振り返る。

 しかしそのポテンシャルはずば抜けていて、すぐにクラブ随一の有望株と呼ばれるまでになった。ただその一方で反抗的で自分勝手な一面があり、そんなペペの欠点を初対面で指摘したのが、次の移籍先のアンジェで育成部門のディレクターを務めていたアブデル・ブアザマだった。
 

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