サーファーのような青年が9年でW杯MVPに――現役引退のフォルランの若き日を回想【南米サッカー秘蔵写真コラム】

2019年08月12日 ハビエル・ガルシア・マルティーノ

洗練された21歳の青年

上半身裸でトレーニングに励むインデペンディエンテ時代のフォルラン(右)。隣を走るのは、後にアルゼンチン代表の主力となるカンビアッソだ(左)。 (C) Javier Garcia MARTINO

 先日、ディエゴ・フォルランが現役引退を表明した。

 私は南米以外のサッカー事情には全く疎いので、フォルランが昨年まで香港のクラブでプレーしていたことを知らず、2016年にペニャロールを退団してからはてっきりすでに引退していたものと思い込んでいた。

 フォルランがプロデビューしたのはアルゼンチンのインデペンディエンテに所属していた頃だ。当時の彼はアルゼンチン国内でもまだ無名で、知り合いの記者から「インデペンディエンテにウルグアイ人の若いFWがいる」と聞いてはいたものの、98年にデビューしてからしばらくの間はチームの不調も重なり、話題になることはほとんどなかった。

 注目されるようになったのは、持ち前の得点力を見せ始めた2001年のトルネオ・クラウスーラ(2000-2001シーズン後期)でのこと。そして私は、あるスポーツ誌からの依頼でフォルランのインタビュー写真を撮影することになった。
 

 指定された日にインデペンディエンテの練習場に行き、トレーニング風景を撮っていると、なぜかフォルランが私のことをじろじろと見ていることに気づいた。こういう時は大抵、選手が自分ばかりにカメラが向けられるのを嫌がっている印なのだが、フォルランの場合はどうも様子が違った。気にせず撮影を続けていたところ、不思議そうな表情で向こうから歩み寄り、話しかけてきた。

「ねえ、ペニャロールのジャンパーなんか着て、ここで何やってるのさ」

 ペニャロールの大ファンであるフォルランは、私がその時に着ていた黒い上着の胸についていた同クラブのエンブレムに気づいていたのだ。自分がウルグアイ出身で、もともとペニャロールのファンであることを話すと、彼は屈託のない笑顔で「へえ、そうなの! こんなところでマンシャに会えるとはね」と言った。「マンシャ」とはペニャロールのサポーターの俗称だ。

 寒い日だというのに上半身裸でランニングをしていたフォルランは、練習後のインタビューでも半そで姿で、そこにブロンドの長髪というルックスも重なり、まるでサーファーのようにクールだった。記者の質問に21歳とは思えないほど落ち着いた口調で答える様子を見ながら、とても洗練された印象を受けたことを覚えている。

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