【三浦泰年の情熱地泰】ブラジル編|愛弟子の子供たちは王国の強豪を相手にどんなサッカーを見せたのか?

2019年08月06日 サッカーダイジェストWeb編集部

FCトッカーノのU14チームがブラジル遠征にやって来た

清水エスパルスやヴェルディ川崎で監督を務めたレオン氏も駆け付けてくれた。

 日本の育成年代がブラジルから学ぶことがあるのか?
 
 私が13年前に立ち上げ、現在は東京都サッカー連盟に登録している「FCトッカーノU15」の14歳・12期生、中学校2年生から成るU14チームが遠征に来た。
 
 チームとしては激戦区の関東代表として全国大会出場を目標とする彼らは、個人レベルでは各自、将来への夢と現実を高校、大学、社会人へと描くなかで、少しでもサッカーと勉学を充実させようと日々努力しているところだ。そうしたなか、街クラブではあるが、サッカーを通して成長しようとしている彼らが、30時間以上の渡航を経て僕が拠点とするサンパウロへ元気な顔で到着した。
 
 僕が運良くプロになり、日本代表にまでなれた理由のひとつには間違いなく、この地「ブラジル」への留学と外国人との「グローバル」な強い関りを持てたということが大きかったと思う。
 
 僕がこの「トッカーノ」をスクールからクラブチームへと育て上げていった理由として「サッカーを通して子供たちを心豊かな大人に育てる」というものがある。そのために、「海外遠征」という経験は一番の強みだと考え、スタートさせた。
 
 実際に卒団していったOBから高校サッカーで活躍する選手やJリーガーになる選手も生まれ、サッカーから転身し、大学ラクビーの中心選手、アーティスト、音楽に関わる教え子、TV界へチャレンジしている子。そのように目立つことはないが、馬事公苑を拠点とする「ヤスフットサルスタジアム」に戻ってきてバイトをし、後輩の指導をしてくれる子、良い大学を出て立派な会社に入っている子。親孝行をして親の家業を手伝い、継ごうとしている子。他にもこのサッカーを通して皆、必死に生きているであろう。
 
 そんな彼らにとって、この遠征はどんな経験になっただろうか?
 
 試合のセッティング(コーディネイト)側という少し離れた立場ではあるが、久しぶりに育成年代の現場を見られたことは、僕にとっても良い経験にもなった。
 
 トッカーノの遠征は今日が最終日。11泊14日のスケジュールの中で練習をしながら、8チームとの試合を経験していった。
 
 最初の試合はサンパウロ州1部の「ポンチ・プレッタ」で、ブラジレイロ(全国選手権)ではセリエBの名門。この試合では8番と9番の選手は、こっち(ブラジル)でもできると個人はもちろん、チームとしても相手スタッフから絶賛された。
 
 比較的フィジカルを備えた育成選手が増えているブラジルでも通用するであろうという評価で始まったが、サンパウロ州3部の「プリマベーラ」、2部の「イトゥアーノ」、1部の名門「サントス」と、ブラジレイロB以上のクラブには勝てなかった。
 
 さらに、同じブラジレイロBのソンベント、また街クラブとも試合を行ない、少しレベルが下がったクラブには勝てたものの、いわゆる強豪と呼ばれる、クラブとしてしっかりしているチームとは「差」を感じた。
 
 特にU15チームとの試合だったイトゥアーノではボール際での戦い、サントスにはボール支配率とゲームコントロールの面で差を痛感させられた。そうした経験をするなかで、ソンベントには初めて勝てたが、ソンベントのこの年代のチームはスクールチームといったレベルであり、さすがブラジルという層の厚さが感じられた。
 
 トッカーノの「子供たち」(ブラジルでは「選手たち」と言うであろうが)は、チームの中でも「中心選手」と「付いて行く選手」に分かれる。子供っぽい選手と大人びた選手。いつでもうるさい子とおとなしくて声も聞いたことのない子。
 
 そんな彼らは東京へ戻れば、「誰々は東京トレセンです」、「U15で出てます、選ばれてます」と聞かされているが、どこか物足りない。
 
 外国人コンプレックスなのか? 恥ずかしいのか? 怖いのか? いつもやれていることが出来ていないように映る。
 
 本来ならそれで良い。それが見られただけで、それで来た甲斐があった、良い経験をしたで良いのであろうが、指導者である僕としては物足りない。
 
 そして、遠征も残り2日となった。
 

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