スペイン紙記者が語るF・トーレスの現役引退「本当はアトレティコでユニホームを脱ぎたかったのだが…」【現地発】

2019年06月29日 エル・パイス紙

1か月前はそんな素振りはなかった

スペインサッカー界の巨星F・トーレス。その引退の舞台裏に迫る。(C) Getty Images

「僕のキャリアに終止符を打つ時が来た。刺激的な18年間を経て、決断の時が来たんだ」

 フェルナンド・トーレスがSNSにて現役引退を表明した。

 2001年に17歳でアトレティコ・マドリー(当時2部に所属)のトップチームデビューを果たし、その1週間後にアルバセテ戦で初ゴールを挙げてから、トーレスはピッチを駆け抜け続けてきた。

 その間、代表では、EURO2008決勝でドイツから挙げた、母国スペインを優勝に導く決勝ゴール、2010年のワールドカップ制覇、12年のEURO連覇。クラブシーンでも、ラファエル・ベニテス監督の下で、ヨーロッパを代表するストライカーとしての名声を得たリバプールでの活躍、プレミアリーグの当時の移籍金レコードを更新した5800万ユーロ(約75億円)でのチェルシーへの移籍、その新天地でのチャンピオンズ・リーグ、ヨーロッパリーグ、FAカップのタイトル獲得、そして14年12月の5万人の大観衆を集めてのアトレティコへの復帰と、印象的なエピソードを提供し続けた。
 
 そんなトーレスが恩師として慕ったのが、故ルイス・アラゴネスだ。トーレスのデビュー翌シーズンに監督として復帰したアラゴネスは当初から"ニーニョ"の中に将来アトレティコとスペイン代表を背負って立つ資質があることを見抜いていた。叱咤激励しながら、毎日のように個人練習を課して専門家の間で課題と指摘されていたシュートとボールコントロトールを克服させ、トーレスを一流のストライカーへと育て上げたのだ。

 ちなみにEURO2008でスペイン代表を指揮していたのがそのアラゴネスで、"恩返し"となった前述の決勝ゴールを含め、"ラ・ロハ"(スペイン代表の愛称)のユニホームを身に纏ってF・トーレスは38得点を挙げた。これはダビド・ビジャ(59点)、ラウール・ゴンサレス(44点)に次ぐ歴代3位の記録だ。

 今から1か月ほど前、アトレティコのミゲル・アンヘル・ヒルCEOとエンリケ・セレッソ会長は商用でアジアを訪問した際に、日本でF・トーレスと会っている。「いつでも復帰の扉を開けて待っている」と両首脳から熱いラブコールを受けたトーレスは、疲労感やストレスを垣間見せた以外は、引退を考えているような素振りはまったく感じさせなかったという。
 

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