久保建英、A代表デビューの意味。天才少年の理想的な足跡に育成のあるべき姿が見える

2019年06月10日 加部 究

前回の東京五輪で議論になったのは当時19歳の釜本邦茂氏をどのタイミングで代表に抜擢するかだった

エルサルバドル戦でA代表デビューを飾った久保。スタンドを魅了するプレーも披露した。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 予想通りの日本代表デビュー戦だった。
 
 久保建英は、バルセロナのカンテラ時代から、最適の状況判断を最良で表現する選手だった。そのスタンスは変わっていないので、チャンスの初期段階から仕上げまで相手の嫌がるプレーを高い精度で続けた。交代直後に大迫勇也のパスを受けて縦に抜け出したシーンでは、フォローする味方がいなかったので、マークするDFに続きカバーリングが来るのを待ち、2人の間を割って入る定石からシュートに持ち込んだ。一方でトップ下としては、ワンタッチで攻撃を加速させ、セットプレーで相手の集中が途切れかかっていると見れば、即座に動き出して小林祐希の素早いパスを呼び込んだ。


 特にこうした緩い国内の親善試合なら、久保にとって日本代表戦は、通常のJ1リーグ戦よりはるかに長所を発揮しやすい。FC東京のポゼッションは40%台で、ディエゴ・オリベイラとのコンビで攻撃を完結させなければならないことも少なくない。それに対し日本代表は逆の立場になるので、ボールに触れる機会もプレーの選択肢も増える。久保自身の登場直前に、FC東京で同僚の永井謙佑が故障で退いてしまったが、逆にボールを収める能力に長けた大迫との連動で、久保の判断速度とタッチの精度が活きていた。
 
 半世紀以上前の東京五輪で、日本代表スタッフが一番頭を悩ませたのは、当時19歳の釜本邦茂氏をいつ合流させるか、だった。
 
「プレーを読む力もヘディングでゴールを決め切る力もあり大器なのは判っていた。だから抜擢するタイミングが遅れてはいけない。しかし潰してもいけないので、あくまで慎重に」(当時日本代表コーチ・故岡野俊一郎氏)と、連日何時間も議論をしたという。結局釜本氏は20歳で東京五輪を迎え、4年後のメキシコ五輪では得点王を獲得。33歳まで日本代表のエースストライカーとして君臨する。まだマイナーな時代のサッカー界に奇跡的に生まれた天才だった。
 
 もちろん久保は、釜本氏と時代背景も役割も異なるが、おそらくアクシデントがなければ、この先10年間前後は代表の中軸としてプレーする器だ。釜本氏は20歳を過ぎてからドイツへの短期留学を経て急変貌を遂げたそうだが、久保は9歳からバルセロナで過ごして来た。ただしその圧倒的な利点を踏まえても、天才少年が日本へ戻って来てからも順調に成長したことには重要な意味がある。
 

次ページ「今までの天才たちは、指導者と意見が合わなくても強引に自分を通し、それでも潰れなかった選手だけが残った」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事