【消えた逸材】14歳でMLSデビューを飾った“神童”アドゥはいま何をしているのか? その後のキャリアを追う

2019年03月21日 井川洋一

12歳の時にインテルから破格のオファー

14歳でプロデビューを果たし、大注目を集めたアドゥ。なぜ表舞台から姿を消したのか?(C)Getty Images

 勝負の世界の常として、フットボール界にも消えていった天才は少なくない。フレディ・アドゥは、その代表的な存在と言えるだろう。

 今年6月に30歳となる"元神童"は、昨年12月までユナイテッドサッカーリーグ(アメリカ2部相当)のラスベガス・ライツでプレーしていたが、シーズン後に1年契約は更新されず、無所属となった。

「すべては己の姿勢次第。神がピリオドを打つまで、ピリオドは打たない」

 ツイッターのプロフィール欄にそう記しているように、現役へのこだわりは強い。だが、"次なるペレ"と呼ばれていた15年前には想像もつかなかった現状だ。

 生まれはガーナで、8歳でアメリカに渡った。母親がグリーンカード(永住権)の抽選に当たったからだ。ガーナのストリートで年上にまじってボールを蹴っていたフレディ少年は、移住先でサッカーを始めるとすぐに才能を認められ、オリンピック強化選手となる。

 その地域選抜チームが参加したイタリアでのU-14の大会で、10歳のアドゥは大暴れ。敵も味方もほとんどが年上だったにもかかわらず、最優秀選手と得点王に輝いたのだ。この活躍で脚光を浴び、その2年後にはインテルから75万ドル(約1億円)のオファーを受けたのだった。

 アメリカ移住後にシングルマザーとなった母親は、ふたつの仕事を掛け持ちしながら必死に子供たちを育てていた。経済的に苦しかったが、「息子はまだ子供。焦る必要はない」と、インテルに断りを入れた。この母親にきちんと躾けられたアドゥは、学校の成績も優秀で、性格も明るくクラスの人気者だったという。
 
 そして2004年――。アドゥは14歳でプロになる。メジャーリーグサッカー(MLS)のドラフトでいの一番に指名され、DCユナイテッドに入団するのだ。他の競技も含めてアメリカ史上最年少のプロアスリートとなり、最初のシーズンでMLS史上最年少出場記録と最年少得点記録を樹立。荒削りながら、ひとたびボールを持てば、その快足ドリブルを止められるDFはそうはいなかった。

 当然のように、ユース年代のアメリカ代表でも活躍する。3度出場したその最後のU-20ワールドカップ(07年)でキャプテンを務め、マルセロやウィリアンがいたブラジルや、ルイス・スアレスやエディンソン・カバーニを擁したウルグアイを破って8強入りを果たしたチームを牽引した。
 

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