今シーズンで勇退……。ネルシーニョ監督が柏を結束させた「VITORIA」の精神

2014年09月19日 平山佳代

世界が相手でも「勝利」を目指すチームに。

2011年、史上初のJ1昇格初年度でのリーグ優勝。クラブとしても初のリーグタイトルとなった。(C) SOCCER DIGEST

「今シーズンをもって、ネルシーニョ監督との契約を満了することになりました。監督には引き続きシーズン終了まで指揮を執っていただきます」
 9月17日午前、クラブ側からの突然の会見連絡から数時間後、柏・日立台のホームスタジアム内にある記者会見場で、まずは萩原靖クラブ代表取締役社長がこう簡潔に切り出した。
 
 続いてネルシーニョ監督が口を開く。
「まだナビスコカップのタイトルが残っており(※10月9日、12日に行なわれる準決勝に進出)、J1リーグでも順位を上げていく戦い(※23節終了時で8位)の最中ですが、私から決断を早く公表したいと、クラブにお願いしました。決まったことは引き出しにしまうよりも明らかにして、選手たちにも決断を伝えたかった」
 
 なぜこのタイミングでの発表となったのか――。
 ネルシーニョ監督とクラブとの間では、通常通り、契約満了の3か月前に今後の契約についての話し合いが持たれた。その結果、両者の合意のもとで契約を延長しない旨が確認された。ネルシーニョ監督は、この決定事項を明らかにしたうえで、残りのシーズンを戦いたいと希望。クラブ側がそれに応えたということだった。
 
 ネルシーニョ監督は、柏レイソルというクラブに輝かしい栄光の歴史を刻んだ。それまで、1999年のナビスコカップ優勝がたったひとつの勲章だったチームに、様々なタイトルをもたらしたのだ。
 
 2009年の7月、序盤戦から低空飛行を続けた柏に、ネルシーニョ監督はやってきた。結局、このシーズンはチームをJ1残留に導くことはできなかったが、これがチームの基盤づくりの第一歩となった。翌10年、レアンドロ・ドミンゲスを新しいエースに据えたチームは、J2で破竹の快進撃を続け、23勝11分け2敗という高い勝率を残して1年でのJ1復帰を実現する。
 
 その勢いは翌シーズン以降も続いた。11年は開幕当初から目覚ましい戦いぶりで優勝戦線をリードすると、終盤は名古屋、G大阪との接戦を制して、昇格1年目でのJ1優勝という偉業を成し遂げた。12年には天皇杯、13年にはナビスコカップと、国内タイトルを3年連続で獲得。今年もすでに、8月にスルガ銀行チャンピオンシップを制し、またひとつ新たなタイトルをもたらした。
 
 クラブに次々と国内タイトルの勲章を加えていくなかで、ネルシーニョ監督は国際タイトルにも並々ならぬ意欲を持っていた。当時19歳のネイマールが君臨したブラジルの名門サントスとも対戦した11年のクラブ・ワールドカップでは、強豪相手に奮闘し国内外にレイソルの名を深く印象づけた。その翌年から2年連続で参戦したアジア・チャンピオンズリーグでは、13年にベスト4入り。つい数年前までJ2リーグで戦っていたチームとは思えないほど、国際舞台でも堂々たる戦いぶりを見せた。
 
 こうした戦いのなかで、指揮官が選手たちのメンタルに与えた影響は計り知れない。どんな相手だろうと、恐れずに自信を持って「勝利=VITORIA」を目指す――。ネルシーニョ監督の言葉には、飽くなき勝利の哲学が宿っている。単純に国内で勝ち続けても決して満足できない。世界基準で戦えるチームを育てること。それが監督の望みなのだと筆者は感じたが、もちろんその想いは選手だけでなく、すべてのクラブスタッフ、サポーターにも届いていたはずだ。

柏レイソル&ネルシーニョ監督 栄光の軌跡(2009.08~)――最大の悲しみから至上の喜びへ
 

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