レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第45回・ベスト(元マンチェスター・U/北アイルランド代表)

2019年02月07日 サッカーダイジェストWeb編集部

「ベストを指導するな。彼は天才だ」

ボールを持ったベストに前を向かせたら、もはやDFはノーチャンスだった。 (C) REUTERS/AFLO

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、華奢な体躯ながらも、魔法とも言えるテクニカルなドリブルや創造性豊かなプレーで、屈強なDFたちを翻弄した稀代のスーパースター、ジョージ・ベストだ。
 
 マンチェスター・ユナイテッドで全てのタイトルを勝ち取り、選手として伝説を創成した他、端正な容姿、ライフスタイルなどでも注目を集め、若者のアイコンとしても君臨した北アイルランド産の偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 ジョージ・ベストは1946年5月22日、イギリス・北アイルランドの首府、ベルファストで6人兄弟の長男として生を受けた。
 
 ホッケーの名選手だったという母親の運動神経を受け継いだのか、小柄な少年は幼少期からサッカーの才能を垣間見せ、15歳の時に地元クラブのユースチームで大会に出場し、そこでマンチェスター・ユナイテッドのスカウトの目に留まる。故郷を離れてイングランドに渡り、トライアルにも合格した。
 
 プロになれる最低年齢の17歳になるまで、クラブの雑務をこなしながら練習に励んだベストは、途中、ホームシックで故郷に逃げ帰ることもあったが、17歳の誕生日にユナイテッドと正式契約。リザーブチームに属しながら、63年9月14日のWBA戦でトップチーム・デビューを飾り、勝利に貢献してみせた。
 
 12月28日のバーンリー戦で初ゴールを決めるなど、着実にステップアップしながら、1年目は国内リーグ戦17試合4得点を記録。また、カップウィナーズ・カップでも2試合に出場し、早くも欧州カップ戦を経験した。
 
 2年目はリーグ戦41試合に出場し、得点も2桁(10ゴール)に到達。右ウイングとして早くもチームに不可欠な存在となり、8シーズンぶりのユナイテッドの優勝に大きな貢献を果たした。
 
 ベストの武器といえば何と言っても、独特の低い姿勢から繰り出す、細かいステップとフェイントの連続、そして急加速&急停止が合わさったテクニカルなドリブル。対峙するDFを無力化し、多くのチャンスを生み出し、また自ら相手ゴールを陥れた。
 
 すでにプレースタイルが完全に確立していた十代の少年は、65-66シーズン、チャンピオズ・カップ(現リーグ)準々決勝で、当時最強といわれていたベンフィカから2ゴールをゲットし、5-1の勝利(2戦合計8-3で勝ち上がり)にチームを導いた。
 
 この一戦での活躍でベストは欧州で大々的に取り上げられた結果、サッカーファンはもちろん、スポーツに関心のない女性たちさえもこの端正な容姿の19歳の少年に熱狂するようになり、彼はサッカー選手の枠を越えたスターとして、ピッチの内外で注目を集める存在となった。
 
「ビートルズのメンバー4人をひとりにまとめた存在」とまでいわれたベストは、英国中の若い女性の胸を焦がし、スタジアムでは名将マット・バスビーに「ベストを指導するな。彼は天才だ」といわしめるほどのプレーで、ユナイテッドに多くの勝利をもたらした。
 
 66-67シーズンに2度目のリーグ優勝をチームの中核として成し遂げ、翌シーズン、今度はチャンピオンズ・カップで決勝に進出。ウェンブリーでの一戦、ベンフィカ相手にユナイテッドは延長戦にもつれ込む激闘を展開したが、ベストは延長開始3分、ロングボールに抜け出し、GKをかわして貴重な勝ち越しゴールを決めた。
 
 10万人の観衆の前で、ユナイテッドはさらに2点を加えて欧州初制覇を達成。栄光のメンバーのひとりとなったベストは、このシーズン、国内リーグでも28ゴールを挙げて得点王に輝くなど出色の活躍を見せ、同僚ボビー・チャールトンやユーゴスラビアの名手ドラガン・ジャイッチを抑え、68年のバロンドールを受賞した。

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