復興支援から広がった”人の輪”ーー。巻誠一郎は現役最後の5年間で同郷の同士として何を学んだのか?

2019年01月20日 井芹貴志

巻が熊本サポーターから支持された理由は単に地元出身者だからではない

引退会見でこれまでの歩みを自らの言葉で振り返った巻。その表情は実に晴れやかだった。写真:井芹貴志

「誰にもそういう話はしていないんですけど、僕の中では、このロアッソ熊本というクラブを(現役)最後のクラブにしようという覚悟を持って、帰ってきました」
 
 小野剛監督(当時。今季からFC今治監督)が就任した2014年シーズンの新体制発表の場で最後に名前が呼ばれ、2006年のドイツ・ワールドカップに臨んだ日本代表のメンバー発表を思い起こさせるサプライズ加入となった日からちょうど5年。今シーズンのチーム始動日を目前に控えた1月15日に現役引退が発表された元日本代表のFW巻誠一郎は、翌16日に熊本市内で行われた記者会見の席で、加入した時の気持ちをそう振り返った。
 
 16年に及んだプロサッカー選手としてのキャリア。イビチャ・オシム監督のもとで才能を開花させた千葉在籍時代、さらにはワールドカップ出場を含む日本代表に選出されていた頃に比べれば、熊本で過ごした5年間は決して華やかなものではなかった。J1昇格プレーオフ進出を目標に掲げながらもチームの結果はなかなか伴わず、熊本地震で自らも被災した2016年は日程や移動の面では非常に厳しい戦いを余儀なくされ、16位でJ2に残留。2017年も苦しみ、2018年は21位に終わり、クラブ初のJ3降格が決定した。
 
 しかし一方、この5年間は巻にとって、そしてまた、その加入を心から待ち望み、喜んだ熊本のサポーターと県民にとっては、とても意義深く、貴重なものとなった。「元日本代表」「W杯経験者」というラベルのついた単なる選手ではなく、熱い想いを持った「同郷の同士」として、ともに歩んできた感覚があるからだ。
 
 成績が低迷するなか、自らのパーソナリティを発揮してチームをひとつにできないと感じた結果が、引退を決断する理由のひとつになったという。

 しかし、本人が「どこも痛いところはないんです」と話す通り、コンタクトも多く怪我のリスクが絶えないポジションにあって長期離脱は1度もない。プレー時間や得点数など数字だけで見れば十分な結果を残せたとは言えないにせよ、ピッチに立てばたとえ数分でも、チームのために求められる役割を果たすべく全力でボールを追った。その献身的なプレーは練習でも見られ、常に手を抜かずにひと回り以上も年の離れたユース出身の10代の選手たちと真剣にボールを奪い合った。

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