昌子源のフランス移籍の舞台裏――小笠原満男の言葉に背中を押されて決断

2018年12月31日 一色伸裕

晴れ晴れとした表情で移籍を報告

フランス移籍が決まった昌子。今季は左足首の怪我もあり、満足のゆく活躍を見せられなかったが、ピッチに立てば闘争心溢れるプレーでチームを鼓舞した。写真:徳原隆元

 鹿島のDF昌子源が12月29日、フランス1部トゥールーズへの移籍を表明した。
 
「(タイトル獲得のために)一度はこのクラブに残ると決めました。しかし、再びオファーをもらい、海外で自分の力を試したい、サッカー選手としてもっと成長したいと強く思いました」
 
 クラブを通じて海外挑戦を発表した同日、昌子は鹿嶋市内のクラブハウスで取材に応じ、念願叶ったその胸中を語った。
 
 チャコールグレーのチームスーツに身を包み、ミーティングルームに現われた昌子。番記者に囲まれると「フランスには来てくれるの?」と笑顔を見せた。夏に移籍話が浮上して以来、あまり見せることのなかった晴れ晴れとした表情だった。
 
 6月のロシア・ワールドカップでは、国内組としては最多の3試合に出場し、日本の16強入りに貢献。その活躍がトゥールーズ、またはストラスブール(フランス)の目に留まり、両クラブからの公式オファーを受けた。とりわけ熱心だったのがトゥールーズだった。
 
 同クラブのフロントは「ワールドカップを経験したことのないJリーグの選手が、ここまで堂々と世界と渡り合っている。そのメンタリティは並大抵じゃない」と高評価し、日本代表のセンターバック獲得に本腰を入れた。
 
 昌子は鹿島に海外挑戦を直談判したが、同時期(7月17日)に植田直通がベルギー1部セルクル・ブルージュへ完全移籍。昌子も退団となると、大幅な戦力ダウンは不可避であり、強化部は首を縦に振ることはなかった。
 
 クラブの「ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)のタイトルのためにはお前が必要だ」と強く慰留され、昌子もこれを受け入れた。
 
 夏の交渉が難航した時期に、左足首を負傷(7月25日C大阪戦)。トゥールーズ側は「なぜ出場していない? どうしたんだ?」と関係者に問い合わせるなど、常に昌子の状態を気にかけ、「冬の獲得も考える」という本気の姿勢を示した。そして意中の選手を獲得するべく、その時を待った。
 
 10月24日。敵地でのACL準決勝セカンドレグの水原三星(韓国)戦を3-3で引き分け、2戦1勝1分で鹿島の決勝進出が決定した。この頃になると、再びトゥールーズが本格的に獲得に動き出した。
 
 夏季のオファーの際には、強化部のみに相談をしていた昌子だが、今回は欧州でのプレー経験を持つ内田篤人や、信頼を寄せる小笠原満男らに相談。小笠原の「自分で勝ち取ったオファーだろ。迷わずに行け」という言葉に背中を押され、移籍を決断した。
 
 

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