「俺は母に晩飯を食べさせるために戦った」エバートンのコロンビア代表DFが波瀾万丈な幼少期を激白!

2018年12月11日 サッカーダイジェストWeb編集部

プロになるために己を磨き続けた過酷な少年時代

コロンビア代表でも欠かせない主力の一人となっているミナ。今夏に行なわれたロシアW杯では3ゴールを叩き込んで話題を呼んだ。 (C) Getty Images

 プロサッカー選手になってトップキャリアを歩めるのは、ごく一部のエリートだけだ。その狭き門を潜り抜けた精鋭たちは、無論、皆が恵まれた環境で育ってきたわけではない。

 エバートンに所属するコロンビア代表DFジェリー・ミナもその一人だ。

 2013年に地元のデポルティーボ・パストでプロキャリアを飾ったミナは、その後、母国の強豪インデペンディエンテ・サンタフェに入団した後、2016年5月にブラジルの名門パルメイラスへ渡って一気に名を馳せる。そして、2018年1月にその才能を見込まれてバルセロナに鳴り物入りで加入した。

 惜しくもバルサでは力量を発揮しきれず、わずか5試合の出場に留まったが、出番を求めて今夏に移籍したエバートンでは、怪我で出遅れたものの、直近5試合は連続フル出場を果たすなど、存在感を高めている。

 そんな24歳の大型CBは、これまでに順風満帆の人生を送ってきたわけではない。英衛星放送「Sky Sports」のインタビューに応じたミナは、「幼い頃、僕たち家族はとても苦しんでいた」と自らの生い立ちについて回想した。

「俺は家族と賃貸住宅に住んでいた。1部屋に母、父、俺、そして弟の4人でね。生活はとても厳しかった。父は仕事を見つけるため、毎日街に出て稼ぐ術を探していた。母はよく泣いていたよ。だから、彼女に言ったんだ。『聞いてくれ。俺はいつかあなたのために家を建てる。そして、神様がいつも食べ物を与えてくれるようにするよ』ってね」

「どこでサッカーをすることになっても『母に晩御飯を食べさせるために僕は戦うんだ』と自分に言い聞かせ続けた」というミナだが、プロを目指す日々は決して楽ではなかったという。

 とくにバス代も得られないほどの極貧生活を送っていたミナは、練習場への移動にも驚きの手段を講じていたという。本人がそのエピソードを明かしている。

「俺は祖母の店で配達をしていたよ。毎日6000ペソ(約212円)を稼いで、4000ペソ(約141円)は母の食べ物にあてて、1000ペソ(約35円)で弟におもちゃを買って、残りの1000ペソで練習の後に飲むための水を買った。バス代なんてなかったから、トラックが赤信号で止まるのを待って、その後ろに飛び乗っていた。冷たい雨が降っているときは恐ろしかったよ。滑ってしまうかもしれなかったからね」

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