【日本代表】森保体制下でついにユース出身者が高校出身者を凌駕! 勢力図の変遷に見える紆余曲折

2018年11月22日 加部 究

02年大会で初めてJユース出身者がW杯メンバーに選出。その後は横ばいが続く

ロシアW杯でもギュラークラスのメンバーは高校勢が多数を占めたが、森保ジャパンではJユース出身者の勢いが目立っている。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 年代別日本代表は、概してカテゴリーが下がるほどJアカデミー出身者の占有率が高くなる。今年開催されたU-19アジア選手権では23人中21人、またU-16同選手権では20人中16人を占めた。ところがフル代表に目を転じると、ユース出身者が高体連出身者を凌駕するのに、想像以上の時間を要した印象である。

 日本がワールドカップに初出場した1998年フランス大会では、ブラジル生まれの呂比須ワグナーを除く21人すべて(当時は代表が22人枠)が高体連出身で、うち11人が大卒だった。4年後の日韓大会で、稲本潤一(G大阪)、明神智和(柏)、市川大祐(清水)、曽ケ端準(鹿島)と4人のJユース出身者が初めて選出されたが、以後2度の大会は2006年ドイツ大会=5人、2010年南ア大会=4人と横ばいが続いた。1998年フランス大会と4年後の日韓大会を比べれば、大学出身者は11人から3人と激減しているから、ワールドカップに出るには大卒でプロになるのでは遅いという傾向が如実に表われ始めたわけだが、まだ代表供給源の中心は高体連だったことになる。
 
 1993年にJリーグが創設されブームが到来しても、地域ごとの温度差は少なくなかった。開幕から参戦した10チーム中6チームが関東に集中しており、Jクラブ誕生が遅れた地域では依然として選手権を狙える強豪校に憧れる選手が大勢を占めていた。アマチュアの低迷期に、高校選手権がサッカー人気を支えた時期は20年間以上も続いたのだ。近隣でJを目指すクラブがアカデミーを起ち上げても、即座に伝統のある高校以上の信頼が集まるはずもない。逆に高体連側からは、ジュニア時代の優秀な素材を優先的に獲得していくJアカデミーへの風当たりが強かった。アンダーカテゴリーの日本代表は圧倒的にJアカデミーの占有率が高いのに、フル代表になると逆転してしまう。とりわけユース昇格を逃し、高校へ迂回しながら大成した中村俊輔や本田圭佑のようなケースが出てくると、アカデミー指導体制の未成熟が浮き上がり、風当たりも強まった。本来育成年代にこそ、長年成長過程を見て来たベテランの指導者が要るのに、Jではアカデミーが指導者の登竜門の様相を呈していた。

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