豪華な外国人助っ人とともに歩んできたレアル・マドリーの輝かしき歴史

2014年08月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

ディ・ステファノの時代から連綿と受け継がれる歴史と哲学。

 2014-2015シーズンに向けての補強として、レアル・マドリーはブラジル・ワールドカップで大飛躍を遂げたビッグネーム3人を獲得した。
 
 MVP級の活躍を見せてドイツの世界制覇に貢献したMFのトニ・クロース、得点王に輝き、一躍世界中から注目の的となったコロンビアのハメス・ロドリゲスを迎え、さらに快進撃を見せたコスタリカの守護神ケイラー・ナバスとも入団で合意したとされている。
 
 3選手ともに、大会前からクラブレベルで大いに評価されていた選手だが、ワールドカップという大舞台での活躍によってさらなる箔が付いたことで、R・マドリーは迷わず獲得に動いた。
 
 さらに、一時はCFのオプションとしてラダメル・ファルカオやロメル・ルカクの獲得も噂されたが、こちらはカルロ・アンチェロッティ監督が否定。もっとも、8月末の移籍市場が閉まるまでは、何が起こっても不思議ではなく、突然のビッグニュースが世界を駆け巡る可能性は否定できない。
 
 さて、R・マドリーといえば、いつの時代にも世界トップクラブの自負の下に、ワールドクラスの選手を獲得してきた。その歴史が始まったのは1953年。アルゼンチン生まれのアルフレッド・ディ・ステファノをコロンビアのミジョナリオスから迎えた時だ。国内でもライバルの後塵を拝していたクラブが、ここから世界に冠たる高貴なクラブへと上昇していく。
 
 55 年にスタートしたチャンピオンズ・カップ(現リーグ)の初代王者となったR・マドリーは、56年にフランスの大スターだったレイモン・コパ、58年にはハンガリーの天才フェレンツ・プスカシュを次々に獲得して、チャンピオンズ・カップ(現リーグ)5連覇という、いまだ破られていない大記録を樹立した。
 
 その後、70年代にはクラブ、代表ともに世界の舞台で結果を残していた西ドイツから、ギュンター・ネッツァをはじめ、パウル・ブライトナー、ウリ・シュティーリケといった優秀な中盤の選手を迎える。そして80年代にはアルゼンチンからホルヘ・ヴァルダーノ、メキシコからウーゴ・サンチェスというストライカーを獲得。後者は5度のリーグ得点王に輝き、歴史に名を残した。また88年には、宿敵バルセロナから西ドイツ産の華麗なMFベルント・シュスターを迎えるという、"禁じ手"も行なっている。
 
 80年代といえば、セリエAが最盛期を迎え、世界のトップスターはイタリアに集中していたが、そのなかでも頂点にいたディエゴ・マラドーナ(バルセロナに在籍していたこともある)には、何度かR・マドリー行きの噂が流れたものである。
 
 90年代に入ると、「東欧のマラドーナ」と呼ばれたルーマニアのゲオルゲ・ハジ、ユーゴスラビア(後にクロアチア)の天才ロベルト・プロシネツキを獲得するも、この頃は補強が奏功せず、ヨハン・クライフ率いるバルセロナの後塵を拝していた。
 
 しかし94年、そのバルセロナから禁断の移籍を果たしたデンマーク人トップスター、ミカエル・ラウドルップやアルゼンチンの優雅な中盤の司令塔フェルナンド・レドンド、そしてチリの点取り屋イバン・サモラーノなどの活躍で、R・マドリーは宿敵の5連覇を阻んだ。
 
 
【写真で見る】スターとともに歩んだレアル・マドリーの歴史(1955~2014)

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