多額の借金返済でキャリアが…クロアチアの韋駄天ペリシッチはそれでも父親への感謝を忘れない

2018年10月20日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

憧れのチームでのトップ昇格が見えた矢先に…。

ペリシッチはロシアW杯で全身全霊の奮闘を見せ、クロアチアの決勝進出に貢献した。(C)Getty Images

 右利きなのか、左利きなのか――。どちらの足でも正確かつ強烈なシュートを放つイバン・ペリシッチのプレーを見ると、そんな疑問が浮かんでくる。本人はこう語る。

「元々は左利きなんだけど、ずっと両足をトレーニングしてきたからね、右足も苦手意識がなくなったよ。左足よりも調子が良い時があって、『今度は右足だけでシュートを撃とうかな』なんて冗談を言うほどね」

 ペリシッチがそんな〝練習の虫〞になったのは、スプリト郊外のオミシュで養鶏業を営んでいた父アンテのお陰だ。11歳で名門ハイドゥク・スプリトに入団した息子に、パーソナルトレーナーとコンディショニングトレーナーを雇って英才教育を施した。

 そして、17歳だった2006年にトップチームの夏合宿に参加。しかし、プロ契約を結ぶ直前になってフランスのソショーへと移籍する。父のビジネスが傾き、契約金を借金返済に充てるためだった。

「難しい判断だったが、イバンの移籍は家族にとって最良の選択だった。妻と妹も一緒にフランスに連れていくことで、私がもたらした苦しみから家族全員を救ったんだ」

 父アンテはそう振り返る。
 西欧のクラブに青田買いされたクロアチア人選手の多くは、適応に手間取るうちに出場機会と自信を失い、表舞台から消えていくケースが少なくない。ペリシッチも決して順風満帆ではなかった。

 ハイドゥクが契約違反を訴え出たためソショーで公式戦出場が叶わず、ようやくピッチに立てるようになった07年には獲得を望んでくれたアラン・ペラン監督が退団。約2年間に渡りBチームで燻り続けた。

 ただ、09年1月にベルギーのルーセラーレにレンタル移籍し、最下位だったクラブを残留に導く活躍を披露。同年夏にはハイドゥク復帰の話が持ち上がり、本人も喜んだという。

 しかし、ペリシッチはここで大きな決断を下す。さらに膨れ上がっていた父の借金を返済するため、より条件の良い西欧(ベルギーのクラブ・ブルージュ)に残ることを選んだのだ。

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