“バルサ化”に引き寄せられた男。J3クラブも獲得を見送ったアタッカーがイニエスタのパスで輝きを放つまで

2018年09月25日 竹中玲央奈

大卒時には練習参加したクラブからことごとく獲得を見送られた

今夏神戸に移籍した古橋(16番)。アグレッシブなプレースタイルで、イニエスタのラストパスからゴールも決めた。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 神戸が推し進める"バルサ化"に引き寄せられるのは必然だった。
 
 今夏、J2の岐阜から神戸へステップアップ移籍を果たした23歳、古橋亨梧の経歴はとても興味深いもので、「人生万事塞翁が馬」を体現している選手と言える。
 
 大阪の興国高を卒業後、当時関東1部だった中央大へ進学。1年次から出場機会を掴み、チームにとって欠かせない戦力となった。その古橋の特徴であり、自身が最大の武器とも語るスピード溢れるドリブル突破は当時から輝きを放っており、デビューしてからまもなく得点も記録。当時の関東大学リーグでも屈指のサイドアタッカーと言って過言ではない活躍を見せ、筆者を含めて見る者に卒業後の進路を期待させてくれたものだ。
 
 しかし、2年次以降は自身の怪我であったり、周囲との連係に苦しんだ。そして3年次には2部降格を経験してしまう。これは中央大サッカー部として史上二度目である。ちなみに一度目は川崎フロンターレの中村憲剛が3年生の時だ。この時は1年での1部復帰を達成したのだが、古橋は卒業年次にチームを1部に導くことができなかった。
 
「1年の時にいい感じでプレー出来ていて2年目もいけるかなと思っていたのですが、うまくいかなくて。3年目もうまくいかなくて(2部に)落ちてしまった。4年目に苦しい状況でチームを上げるつもりでやっていたけどそこもうまくいかなくて。そのなかでもプロになれて嬉しいという気持ちが大きいですけど、やっぱり後悔がすごく大きいです」
 
 卒業後、プロ入りが決まった後に彼はこう口にしていた。彼にとっての4年間はやはり苦さが残るものだったようだ。
 
 プロを目指す選手にとって1部と2部はプレーする舞台の差としては非常に大きい。当たり前だがスカウトが足を運ぶ数が多いのは前者。そういう意味でも勝負である上級生時にトップの舞台でプレーできないということは、古橋にとって痛恨だった。そんななかでも、もちろん本人はプロを目指すわけだが、練習参加した複数のクラブからことごとくNGを突きつけられることになった。J2はいわずもがな、J3のクラブまでが古橋の獲得を見送ったのである。
 J3のクラブにも行けない――。
 
 そんななか、転機が訪れた。

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