【2014南関東総体】代表校の強さの秘密を探る|野洲編

2014年07月27日 森田将義

「勝てない世代」と揶揄されたチームが辿り着いたスタイル。

野洲
所在地:滋賀県野洲市行畑2-9-1
創立:1944年 創部:1984年
主なOB:乾貴士(フランクフルト)、楠神順平(C大阪)、望月嶺臣(名古屋)など。
(C) SOCCER DIGEST

 総体出場を決めた数日後、野洲の練習場には楽しそうにボールを追いかける選手たちの姿があった。練習の初めは「ジグドリ」と呼ばれるドリブル練習。ボールを足で操って歩く選手の列を、対面の選手が数種類のタッチを使ってすり抜けていく。そうやって技術を磨く姿は、乾貴士(フランクフルト)や望月嶺臣(名古屋)らの時代と同じ。月日が流れても、変わらない風景があった。
 
 一方で、試合からは例年との違いを感じる。「今年の3年生は、スピードのある選手や、ドリブルが巧い選手が多い。彼らの良さを生かすために推進力を出したいので、いつもより前に出ていく感じがある」と山本佳司監督が話すように、例年の野洲とは少し違ったサッカーを展開する。
 
 変化を感じたひとりが1年生MFの山元壮太郎。中学時代は歴代のOBが多数所属していたセゾンFCに所属。望月らが披露したショートパスの連続で相手を崩し切るスタイルに憧れ、野洲の門を叩いた。だが、入学後に触れたサッカーは、3年生の長を出すために、長いパスと個の突破を織り交ぜたスタイルで、「見ていたサッカーとの違いに最初は少し戸惑った」という。
 先輩たちには葛藤があった。「このサッカーなら、野洲に来た意味がないという声もあった」(MF平石健祐)。だが、中学時代から滋賀県内のタイトルが獲れず、入学前から「勝てない世代、弱い世代」などと揶揄されたのが今年の3年生。入学初年度も県の1年生大会で優勝を逃し、2年生になってからも選手権代表の座を綾羽に譲っていた。
 
「今年のプリンスリーグが始まっても内容が悪かったことで、全体の意識が変わった。僕らも(望月)嶺臣くんたちのサッカーに憧れたけど、勝ちたい気持ちの方が強いから、自分たちの良さを出しながら、ゴールにより多く向かっていくことを意識し始めた」(平石)
 
 勝利への渇望が、いつもと違う野洲を受け入れさせた。

次ページ苦しんで掴んだ全国行きの切符。ひと味違う野洲が新たな歴史を作る。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事