もはや脅迫…ジョルジーニョがマンCからチェルシーに鞍替えした本当の理由

2018年09月21日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

ナポリのデ・ラウレンティス会長が…。

マンC移籍を妨害されたジョルジーニョ(左)。新天地となったチェルシーにはナポリ時代の恩師サッリ(右)がいたのがせめてもの救いか……。(C)Getty Images

 今夏にマンチェスター・Cと合意に達していたイタリア代表MFのジョルジーニョが、それを袖にする形でチェルシーに移籍したのは、本人の意思ではまったくなかった。一方的にそれを決めたのは、一度はマンCと合意していたナポリのアウレリオ・デ・ラウレンティス会長だったのだ。
 
 デ・ラウレンティスはマウリツィオ・サッリ監督が契約をあと1年残しながら退団を表明し、チェルシーと合意したことを受け入れず、「チェルシーが違約金を支払わない限りサッリとの契約解消に応じない」という強硬な姿勢を打ち出していた。
 
 とはいえ、すでに後任にカルロ・アンチェロッティを迎えており、サッリを手放さなければ無駄に給料を払い続けることになる。だが、すんなりと契約解消に応じるのはプライドが許さない――という複雑な心境に置かれていた。
 
 そこで、チェルシーが「ジョルジーニョを獲得できるならマンCよりも高額をオファーする」という話を持ちかけてきたのに乗って、「2人を抱き合わせる形でならサッリとの契約解消に応じてもいい」という態度に出たのだ。
 
 ジョルジーニョ自身はマンCに移籍してジョゼップ・グアルディオラの下でプレーするのを楽しみにしており、当初はチェルシー行きに強く抵抗した。
 
 しかし、そんなジョルジーニョに対して、デ・ラウレンティス会長は極めて強硬な態度を取る。チェルシー行きに応じなければ、マンC移籍を破談にしたうえで残り2年の契約期間、試合に出さず飼殺しにすると脅すなど、あらゆる手を使ってチェルシー移籍を強要したのだ。これでジョルジーニョもさすがに、マンCを諦め、チェルシーに新天地を求めるしかなかった。
 
 この顛末にマンCは強い憤りを覚えており、ナポリとマンCの関係は最悪の状態。おそらくマンCは今後、何らかの形でナポリに報復をしかけることになるだろう。カネにモノを言わせて、例えばカリドゥ・クリバリ、ロレンツォ・インシーニェといった主軸を引き抜きにかかっても不思議ではない。
 
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト9月20日号より転載。
 
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にジョゼップ・グアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
 
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