【秘話】モドリッチの「キャリアの分岐点」とは? 華々しいキャリアとは裏腹に…

2018年09月19日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

「生涯けして忘れないだろう」と回顧する1シーズン。

ロシアW杯でMVPに輝いたモドリッチ。
photograph by Getty Images

「ズリニスキでプレーしたシーズンは生涯決して忘れないだろう。僕のキャリアを助けてくれたんだ。ズリニスキだけでなく、モスタルの街も、ウルトラスのことも絶対に忘れない」
 
 ロシアW杯で大会MVPに輝く活躍を見せたルカ・モドリッチにとってキャリアの分岐点は、華々しいキャリアとは対照的な"あの1年"だった。
 
 戦争難民として逃れた港町ザダールでサッカーを始めるも、15歳の時には憧れのハイドゥク・スプリトの入団テストに不合格。NKザダールという地元クラブのコーチの推薦もあり、16歳で名門ディナモ・ザグレブに入団するも大きな芽は出ず、18歳で迎える03-04シーズンには武者修行に出された。行き先は隣国ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに本拠を置くクロアチア人クラブ、「ズリニスキ・モスタル」だった。
 
「ルカは知らない土地に行くことを少し恐れていた。だから僕は『心配するなって。モスタルは僕の故郷だから君のことを守るよ』って励ましたよ。あの控えめな性格は昔からなんだ。でも、ズリニスキで過ごしたシーズンこそが、ルカのキャリアを方向付けたと僕は思っている。あの厳しい場所で鍛えられ、どんな困難があろうとも成功できる逞しさを身に付けたんだ」
 
 ディナモ・ユースでともに育成され、一緒にズニリスキに送られたDFイビツァ・ジディッチは当時をそう振り返る。
 
 ボスニア・リーグのスタイルは荒々しく、民族問題も絡んでホーム寄りの極端な笛は日常茶飯事。セルビア人クラブのバニャルカ・ボラツやレオタール・トレビニェのアウェーゲームでは、ボールを持たない局面でモドリッチが削られても、レフェリーは常に見て見ぬふりだったという。それでも18歳の少年は挫けなかった。恩師のスティエパン・デベリッチはこう語る。
 
「チームのすべてのプレーがルカを中心に回っていた。18歳でリーダーシップを発揮する選手なんて珍しいよ。普段はとても物静かで、いるかいないか分からないような子だったけどね。当時からプロ意識の高い生活を送り、目標をしっかり見定めていた。『フィジカルが弱い』などという懐疑的な見方をする者たちを、ルカはパフォーマンスで黙らせていったんだ」
 

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