レジェンド不在の入団会見で味わった言いようのない喪失感と寂寥感 ~追悼アルフレッド・ディ・ステファノ~

2014年07月20日 サッカーダイジェストWeb編集部

R・マドリーの輝かしき舞台にはいつもディ・ステファノがいた。

新加入クロースとペレス会長の背後には10個の欧州制覇の証。その半分がディ・ステファノによってもたらされた。 (C) Getty Images

 7月17日、レアル・マドリーは、先のブラジル・ワールドカップを制したドイツ代表のMF、トニ・クロースの入団会見を行なった。
 
 ワールドカップではMVP級の働きで世界制覇に貢献した、有能な攻撃選手をバイエルンから獲得したことで、会長のフロレンティーノ・ペレスは誇らしげだった。しかし、クロースをメディアに紹介する前に、ペレス会長はこう述べた。
 
「今回の入団発表には、これまで14年間にわたってこういう場に立ち会っていた偉大な人物がいない。ディ・ステファノの不在を受け入れるのは簡単ではない」
 
 ワールドカップ期間中の7月7日、R・マドリーの輝けるレジェンドであり、同クラブの名誉会長を務めていたアルフレッド・ディ・ステファノは、心臓発作のための88歳でその偉大な人生の幕を閉じた。
 
 1926年にアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、リーベル、ウラカンで実績を積んだ後、49年に当時、栄華を誇っていたコロンビアのミジョナリオスに移籍し、チーム、個人ともに多くのタイトルを獲得。そして53年にスペインに渡り、当時まだ真の強豪ではなかったR・マドリーに移籍した。
 
 当初はバルセロナに移籍する予定だったのが、R・マドリーがこの南米の宝石を手に入れるためにスペイン中央政府が動き、リーグからの外国人締め出しなど、強引にルールを変えてまでバルセロナに揺さぶりをかけ、最後は両クラブの共同保有とし、最初の2年はR・マドリー、その後の2年はバルセロナでプレーするという特異な契約に持ち込んだのだった(後にバルセロナは諦めて保有権を譲渡)。
 
 R・マドリーでは11シーズンの在籍でリーグ優勝8回を記録し、5度の得点王、バロンドールも2度(57、59年)受賞したが、特筆すべきは、55年に創設されたチャンピオンズ・カップ(現リーグ)で第1回からの5連覇にチームを導いたことだ。これにより、R・マドリーも世界に冠たるクラブとしての歴史を歩んでいくこととなった。
 
 クラブでの栄光とは対照的に、代表チームでは負傷などもあって、アルゼンチン、コロンビア、スペインで代表選手となりながらも、一度もワールドカップの舞台に立つことはできなかった(アルゼンチン代表時代の47年にコパ・アメリカに優勝したのが唯一のタイトル)。そして栄光を得たR・マドリーとも一度は袂を分かち、選手生活の最後の2年間はエスパニョールで過ごして、66年に40歳で現役を退いた。
 
 引退後は、スペイン、アルゼンチン、ポルトガルの計8クラブで監督を務め、R・マドリーでも82年から84年、90年から91年の2度、指揮を執った。そして2000年にR・マドリーの名誉会長に就任し、重要なイベントには必ず出席するようになった。
 
 特に、R・マドリーが銀河系軍団化してからは、ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、デイビッド・ベッカム、カカ、クリスチアーノ・ロナウドなどのビッグネームの入団セレモニーでは、ディ・ステファノがその威厳のある姿を見せるのが常であった。05年に心筋梗塞を患って生死の境をさまよい、後に車椅子に乗るようになってからも、である。
 
 しかし、もうその姿を見ることはできない。その喪失感と寂寥感を深く味わったのは、ペレス会長だけではない。実際、世界中のサッカー関係者が哀悼の意を表し、多くのマドリディスタがレジェンドに最後の別れを告げるために、長い列を作った。
 
 しかし、ペレス会長は最後に、こうも付け加えた。
 
「ディ・ステファノは永遠に我々の元にいる。今回のクロースの補強にも、興奮していることだろう」
 
 そう、偉大なる魂は今度も、R・マドリーとともに生き続けるのである。
 
 
【追悼・写真で見る】アルフレド・ディ・ステファノの偉大なる人生

 
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