【小宮良之の日本サッカー兵法書】ピッチ上ではギリギリの勝負を楽しめる“一流ギャンブラー”が有利だ!

2018年08月03日 小宮良之

日常的に“博打”的な生活を送る選手たち

度胸満点で、冷静さも持ち合わせているD・コスタ。その凄さを、クラブ、代表の両方で存分に発揮している。 (C) Getty Images

 少し前に、ニューカッスルなどで活躍した元イングランド代表MF、キーロン・ダイアーの告白が話題になった。
 
「我々にとっての賭け事は、まるで麻薬のようなものだった。大会期間中、どっぷりとはまってしまっていたよ」
 
 ダイアーはカードゲームに興じ、大金を賭ける興奮から抜け出せなかったことを暴露した。EURO2004に出場した彼は、一部の選手たちと賭けに没頭し、ある選手は10万ユーロ以上(約1300万円)も失ったという。わずか1週間で、なんと500万円以上の損得が出たのである。
 
「全くコントロールが利かない状況だった」
 
 ダイアーは、そう明かしている。
 
 サッカー選手は「賭け事にはまりやすい体質」だと、よくいわれる。そもそも、日々の人生が"博打"のようなものであると言っていい。1本のシュートが決まるか決まらないか、それで人生ががらりと変わるのだ。その落差は、一般の人の比ではないだろう。
 
 すれすれの勝負に、日頃から慣れているし、そこに生きる楽しさすら、覚えているのだ。
 
 サッカー選手は、周りから受けるプレッシャーも非常に強く、必然的に抱えるストレスも大きくなる。追い詰められた状況……。それは、自分ではどうにもできなくなる時もある。その場合、天に祈り、運にすがらざるを得ない。
 
 そこで、迷信であっても、すがれるものにはすがりたくなるという"衝動"も、彼らは持っている。例えば、「ピッチには必ず左足から入る」「赤いパンツでプレーする」「勝っているあいだは髭を剃らない」などという、効果の程を確かめられないようなゲン担ぎも、勝負師ならではのものだろう。
 
 日常的に、博打的な生活をしているのだ。
 
 もちろん、ユース年代から、博打そのものに手を出すことは許されていない。サッカーには博打の要素はあるが、だからといって博打そのものに傾倒してしまうような選手は、結局はほとんどがトッププロには辿り着けない側面がある。大事なのは、ピッチという舞台で、博打以上の勝負を楽しめるかどうか、だ。

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