レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第39回・ベルゴミ(元イタリア代表)

2018年08月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

18歳で鮮烈な世界デビューを果たし、世界一に貢献!

82年W杯決勝、ルムメニゲ(左)を、18歳(!)のベルゴミは見事に封じてみせた。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、ハードなマークと鋭いボール奪取で世界中の攻撃プレーヤーを無力化し、時に攻撃の起点ともなったリーダーシップ溢れるDF、ジュゼッペ・ベルゴミだ。
 
 インテルひと筋でキャリアを全うし、代表チームでは18歳でイタリアの世界制覇に貢献した偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 1963年12月22日、ジュゼッペ・ベルゴミはイタリア・ミラノに誕生。この国の大多数の子どもと同じように幼少期からボール蹴りに没頭し、13歳の時にインテルの下部組織に入団した。
 
 日本円にして20万円ほどの契約金を支払われ、2軍戦に出場できるようになったらその3割増のギャラを得るという当時の最低限の条件だったが、少年はめきめきと頭角を現わし、その3年後にはトップチームの一員となってセリエAデビューを果たす。
 
 キャリア3年目の1981-82シーズンにはリーグ24試合に出場。DFでありながら2得点を記録するなど、試合ごとに能力の幅を広げていき、コッパ・イタリアというタイトル獲得を早くも経験した。
 
 十代にして名門インテルの最終ラインで不可欠な存在となったベルゴミ。ただ、口髭をたくわえたその風貌は、年齢よりもはるかに上に見え、「ジオ(おじさん)」という愛称がつけられたほどだった。
 
 見た目も早熟(?)なら、そのプレーもトップレベルにあった。DFとして、右サイド、中央のポジションをこなし、その執拗なマークとボール奪取能力に加え、高い戦術能力を備えた彼は、さらに試合を重ねるごとに攻撃参加でもチームに貢献し、起点となる他、時に貴重なゴールも挙げた。
 
 同シーズンに飛び級でイタリアU-21代表に名を連ねたベルゴミだが、なんと82年4月14日の東ドイツ戦でA代表から招集を受ける。そして、同年6月からスペインで開催されるワールドカップにも出場することとなったのだ。
 
 当時の「アッズーリ」といえば、GKディノ・ゾフ、リベロのガエターノ・シレア、SBのクラウディオ・ジェンティーレ、アントニオ・カブリーニのユベントス勢とミランのCBフルビオ・コロバティが強力な守備陣を構成しており、当然ながら飛び込みで最終メンバー入りしたベルゴミは、ベンチで大会開幕を迎えた。
 
 彼に出番が訪れたのは、2次リーグの大一番、優勝候補の筆頭であるブラジルとの一戦。しかも、コロバティの負傷によって前半34分、突然、18歳の少年はピッチに送り出された。しかしベルゴミは冷静にプレーし、相手の猛攻にもしっかり対処。3-2の歴史的勝利に大きな貢献を果たす。
 
 すると準決勝のポーランド戦では、出場停止の"エースキラー"ジェンティーレの代役として敵の最大の得点源であるグジェゴシュ・ラトーを徹底マークして仕事をさせず。さらに決勝では、西ドイツのエースであるカール=ハインツ・ルムメニゲをやはり無力化し、優勝の瞬間をピッチ上で迎えたのだった。
 
 ちなみに決勝の69分、いまだ語り草となっているマルコ・タルデッリのゴール(決勝点)の場面で、カウンターからベルゴミも西ドイツ陣内深くに上がり、DF陣を揺さぶるゴール前でのパス回しに加わっていた。彼の貢献は、決して守備だけのものだったわけではない。
 
 22歳上の主将ゾフから「決勝の彼はパーフェクトだった。18歳とは思えない。その老練なプレーは、その倍の36歳のものだ」と絶賛されたベルゴミは、一躍世界にその名を知らしめるとともに、アッズーリの堅守の歴史を担う存在となった。

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