【岩政大樹】ロシアW杯から見えた「サッカーの今」。日本は世界の潮流に乗りつつ"独自性"の追求を

2018年07月16日 岩政大樹

フランスの優勝は、誰か一人の活躍で勝ち得た印象はない

クロアチアとの決勝を4-2で制したフランスは誰か一人に頼るチームではなかった。(C)Getty Images

 夢に満ちたロシア・ワールドカップが幕を閉じました。大会を通じて感じたのは選手一人ひとりの強い想い。世界の超一流が、ど直球でプレーに想いを乗せて戦うのだから、ワールドカップは面白い。そんなことを1か月間まざまざと感じさせられました。
 
 今はグローバルの時代。情報は氾濫しています。ワールドカップを機に新たな戦術が世界に紹介されるようなことはもうなく、その役割は各クラブに移されています。しかし、変わらないのは、選手たちにとってワールドカップとは小さい頃からの夢であること。「勝ちたい」だけではない、もっと積年の想いや歩みがあり、それが思い切り表現されるピッチの上には、これまた夢がありました。
 
 若い選手たちを中心としたフランスの優勝は、新たな風を感じさせます。エムバペが注目されがちでしたが、中心にいたのはグリエーズマンであり、ポグバであり、カンテであり、ヴァランであり。彼らの献身性と緻密さは、チーム単位でいうと今大会で群を抜いていました。そのチームとしての機能の上に個性があり、輝きがある。誰か一人のスターの活躍で勝ち得た印象のない今回のフランスの優勝は、サッカーの潮流を表していると思います。
 
 準優勝のクロアチアも同様です。下馬評に反し、初の決勝まで辿り着いたのは、モドリッチに代表される「チームのため」の統一感によるものでしょう。モドリッチはスターであり、クラッキ(名手)ですが、誰よりも走り、戦います。ストライカーのマンジュキッチもゲームメイカーのラキティッチも、当たり前に毎試合走り、戦い続けます。「チームのため」にもいろいろありますが、「スターと、それを支えるその他」というチーム作りはもう時代遅れなのかもしれません。清々しさを残してくれた両チームの決勝戦は、「サッカーの今」なのだと思います。
 
 そう考えると、我らが日本代表のロシアでの戦いぶりも「サッカーの今」でした。誰か一人がチームを牽引した印象はなく、全選手が「チームのため」を体現していました。さらに「チームのため」に「個性」を埋没させるのではなく、むしろ各ポジションでそれぞれがそれぞれに輝きを放ち、躍動しました。ベスト16という結果以上に、「チームのため(組織)」の上に「個性」が輝いたからこそ、日本中を熱狂させてくれたのでしょう。
 

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