レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第38回・ダービッツ(元オランダ代表)

2018年07月05日 サッカーダイジェストWeb編集部

全ての監督が欲しがる選手だった「闘犬」

キャリアのピークを過ごしたユベントスでは、攻守でハイレベルなプレーを毎試合披露。対戦相手は皆、ゴーグルの小柄なMFに震え上がった。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、驚異的なスタミナでピッチを所狭しとフルタイム走り回り、優れた危機察知能力でピンチを防ぐとともに、時として重要なゴールを挙げてきたエドガー・ダービッツだ。
 
 所属した多くのクラブに栄光をもたらし、オランダ代表としても輝きを放った偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 エドガー・スティーブン・ダービッツは1973年3月13日、南米スリナムの首都パラマリボで生まれ、幼児期にオランダに移住した。
 
 2つのクラブを経てアヤックスの下部組織に入団したのは12歳の時。ここで技術と戦術理解度を高め、身体を鍛えて91年にトップチームへ昇格、9月6日のRKC戦でプロデビューを飾った。
 
 1年目で13試合に出場し、早くも2ゴールを挙げた彼は、いきなり欧州タイトル(UEFAカップ)制覇を経験する。リーグ優勝を初めて成し遂げたのは、3年目の93-94シーズンで、そこから3連覇を達成した。
 
 その存在が世界的に知られたのは、94-95シーズンだ。初のチャンピオンズ・リーグ(CL)で、ダービッツは中盤で縦横無尽に走り回ってアヤックスの快進撃に貢献。チームは決勝で新鋭パトリック・クライファートのゴールで前年度王者ミランに1-0で勝利し、欧州の頂点にまで昇り詰めた。
 
 さらに95年12月、アヤックスは東京・国立競技場でのトヨタカップに臨み、南米王者グレミオをPK戦の末に撃破。22歳のダービッツは、世界王者の一員という称号を手に入れ、その価値をさらに高めることとなった。
 
 驚異的な運動量と闘争心でマークする相手を絶対に逃さずにボールを奪う他、抜群の嗅覚でボールを拾い、優れた足元の技術でチャンスを作り、さらに貴重なゴールをも奪うダービッツ。ルイス・ファン・ハール監督が「闘犬」と呼んで重用した169センチの小柄なMFは、すでに欧州中のビッグクラブの注目の的となっていた。
 
 そして96年夏、当時、世界最高峰リーグと呼ばれたセリエAに新天地を求める。ミカエル・レイツィハー、ウィンストン・ボハルデとともに加入したミランで、彼は輝かしいステップアップを果たすことを夢見たが、チーム自体が下降線を辿っていたこと、そしてチームに馴染めなかったことで、プレーに精彩を欠いた。
 
 2シーズン目には骨折という不運にも見舞われ、さらにチームメイトとの確執なども表面化するなど、困難な日々を過ごしていたが、98年1月に転機が訪れる。中盤の強化を狙うユベントスが、ダービッツに白羽の矢を立てたのだ。
 
 この移籍は吉と出た。見事に彼のプレースタイルはユベントスにフィットし、チームを勢いづけ、同シーズンのスクデット獲得、CL決勝進出に貢献。このクラブでは7シーズンの在籍期間で、3度目のリーグ優勝の他、CLでは2002-03にも決勝へ駒を進め、ミランとの同国対決を実現させた。
 
 中盤で使い勝手の良いダービッツは、世界中の全ての監督が欲しがる選手といわれ、最も価値の高い選手だった。03-04シーズンにユベントスからレンタルで加入したバルセロナでも、当時不振に喘いでいたチームを一気に上昇させ、わずか1シーズンの在籍ではあったが、後の黄金時代創成にも大きな尽力を果たした。

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