【セルジオ越後】「惜敗」はなんの慰めにもならない。そこに差があることを認識しないと

2018年07月03日 サッカーダイジェストWeb編集部

柔軟性という点で完全に劣っていた

ベルギー戦は1点差の「惜敗」。しかし、「惜しかった」で済ませてはいけない。写真:JMPA代表撮影(滝川敏之)

 決勝トーナメント1回戦で日本は、ベルギーに2-3で敗戦。ベスト16で大会を去ることになった。「惜しかった」「感動をありがとう」。そんなふうに世間は、今大会の戦いぶりを称えるかもしれないけど、それで終わってはいけないよ。
 
 たしかにベルギー戦は1点差で、いわゆる「惜敗」というやつだけど、「惜しくも負けた」というのはなんの慰めにもならない。そこに差があることを認識しなければならないんだ。
 
 冷静に分析すれば、相手のほうがチャンスを圧倒的に作っていたし、2点目、3点目なんて完璧に崩されていた。あれだけ必死に守っていても3失点してしまったんだ。ギアを入れられると完全に後手を踏んでしまっていたよね。
 
 露呈したのは、経験不足だった。カウンターからうまく2点を先行したのは良かったよ。ただ、2-0になってからの試合運びは非常にもったいなかった。西野監督が試合後に「もう1点取れた」と言っていたように、"いけるかも"と思って欲が出てしまったようだ。あそこでは、2点を守り切る試合運びをすべきだったよ。流れに沿った選択ができるかできないか。そこに世界とのレベルの違いがあるね。
 
 逆にベルギーの対応は素早かったね。2点のビハインドになると、フェライニという高さのあるカードを切って押し込もうとしてきた。それなら日本は、植田など長身のCBをもうひとり入れて、そのポイントを消すべきだったんだ。つまり、柔軟性という点で完全に劣っていたわけだ。
 
 たとえ攻めるにしても、本田の投入は得策ではなかった。原口のゴールの場面でも分かったように相手の5番(ヴェルトンゲン)は足が遅かった。それなら右サイドには武藤のような足の速い選手を入れるべきだったね。本田はプレースキックでチャンスを作ったけど、流れのなかでは仕事ができていなかったよ。
 
 ここまでの試合で交代策が当たっていたこともあって、采配がパターン化してしまったんだ。ベルギーはこれまでの相手よりもレベルがもっと高くて、シチュエーションも違うことを踏まえなければいけなかった。

 今回は、パスを回すテーマはなかったのかな。2点リードしていた場面こそ、ボールを回して時間を稼ぐべきだったのではないかな。

次ページ今回のワールドカップは良い勉強になったのではないかな

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事