【小宮良之の日本サッカー兵法書】ハリルホジッチに「NO」を突き付けたこの国に根付くスタイルは!?

2018年05月19日 小宮良之

勝ち続けても「ポイ捨て」された歴史的名将

日本サッカー協会の解任理由には疑問符が付くものの、多くの人々がハリルホジッチ監督のスタイルに納得していなかったのは事実。では、後味の悪い決別は訴訟にも発展しそうだが、この先、この国のサッカー界はどこに向かうのか。 写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 戦術が適合するかどうか。
 
 それには、民族性、国民性、地域性のようなものが強く影響している。
 
 例えば、1950年代後半、スペインで一世を風靡した指揮官がいた。エレニオ・エレーラという監督で、1958—59、59—60シーズンには、バルセロナでリーガ・エスパニョーラ連覇を経験。当時、欧州5連覇で無敵の強さを誇ったレアル・マドリーに、唯一対抗することができたチームだった。
 
 1959—60シーズンのチャンピオンズ・カップ(現リーグ)では、準決勝でマドリーに敗れたものの、エレーラ監督の功績は高く評価されてしかるべきものだった。
 
 ところが、前述のリーガ2連覇の後、このアルゼンチン出身の指揮官は電撃的に解任されてしまう。理由は、以下の通りだ。
 
「サッカーが守備的すぎて、つまらない」
 
 ファンの人気は上がらず、リスペクトもされない。おまけに、当時のエースだったラディスラオ・クバラと衝突した指揮官エレーラは、勝ち続けたにもかかわらず、「ポイ捨て」されることになってしまった。
 
 サッカーにおいては、革新的なもの、あるいは創造的なものを愛する風土のあるカタルーニャ人(州都バルセロナを中心に)にとって、実務的で、効率に偏ったサッカーは受け入れられなかったのだ。
 
 ところが新天地のイタリアでは、エレーラはまるで神のごとく愛された。
 
 インテルを指揮した彼は、30年代にオーストリア人指導者のカール・ラパンが考え出した「カテナッチョ(イタリア語の『南京錠』)」という超守備的な戦術を、実践的にアップデート。中盤で相手の攻撃を封じるラインを敷いて、バックラインはアタッカーをマンマークし、最後尾をリベロが守った。
 
「グランデ・インテル」
 
 その称号で、エレーラのインテルは崇拝されることとなったのである。
 
 3度のセリエA優勝、2度の欧州制覇。それは、どの監督もなし得なかった大偉業だったが、それよりも特筆すべきは、ディフェンスの効率と強度の高さを「芸術」としたのが、イタリア人だったという点だろう。

次ページハリルの戦法もやり方のひとつではあったが…

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