【指揮官コラム】鹿児島ユナイテッドFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|心に響いた叔父さんからの“言葉”

2018年05月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

最強・清水FCに初めて勝利! しかし叔父さんが言ったのは?

小学生時代に監督である叔父さんの言葉からサッカーの奥深さを思い知らされたという三浦監督。自らも現在は監督という立場で「言葉」の力の大きさを感じている。(C) SOCCER DIGEST

 小学6年生(12歳)頃の東海4県大会を不意に思い出した。
 
 僕の学年は清水FC最強時代。「三羽ガラス」大榎克己、長谷川健太、堀池巧といえば、サッカー界で知らぬ人はいないであろう。
 
 そうした年代の12歳の頃の話だ。
 
 清水FCが無敗で迎えた最後の大会であり、最後の公式試合だったのが、東海4県大会の決勝戦。僕はお隣・静岡市のオール静岡のメンバーとして出場した。
 まだ始まって2回目だった全国少年サッカー大会では、清水FCは全国優勝(埼玉県代表の下落合と引分け両者優勝)。最強チームは東海4県大会の決勝戦まで負け知らずだったわけだが、その決勝で番狂わせが起きた。
 
 僕たちはその試合を2-0で勝利して、優勝したのだ。
もちろん勝ったのは、初めて。その年、さわやか杯では0-4、全国少年サッカー大会予選では延長1-2で惜敗。勝てなかった相手から勝利をもぎ取った。
 
 少年サッカーの試合とはいえ、テレビ放送もあり、旧姓納谷でプレーしていた当時の僕は、オール静岡で唯一、トレセンに選ばれたこともあり注目されていた。
 
 優勝の報告に僕のクラブの監督、叔父さんに挨拶に行くとこう言われた。
「ヤス!ラジオだったら良かったのにな!」
 
 この試合に勝ちはしたが、僕のプレーは確かに最悪だった。僕自身が何かしたわけではなく、ただ勝っただけ。それなのに実況では僕の名前を連呼。
 
 叔父さんのラジオだったら…とは。
「何だ? あのプレー」
「恥ずかしくないのか!」
「テレビだからバレてるよ!」
「ラジオだったらな~」
そういう意味だった。
 
 12歳の僕もその通りだと思った。もっと努力しなくてはと思ったのを覚えている。そしてもっとサッカーが好きになった。
 
「ラジオだったら良かったのにな!」という叔父さんの言葉は、これがサッカーの魅力だと教えてくれた。そう「簡単」ではないのだということを。
 
 きっと人生の中には多くの言葉が落ちていると思う。指導者とはその言葉をどう拾わせるかが、「腕」なのであろう。
 
 ただ拾う側の「感」も大事だ。サッカーをやるにあたって、野心や熱意はあるのか、意識や夢、未来へ気持ちがあるかで言葉は拾えるはず。
 
 子どものころには「?」と思うかもしれないが、年齢など関係ない。
ただサッカーが好きなだけでは気づけない。言葉を拾う能力、これは何の仕事だったとしても大事なものなのだ。
 
 僕は運が良かった。いろんな人がいろんな事を言ってくれた。いま思えば、そのほとんどが僕のために、言いにくい事を言ってくれたと振り返られる。
 

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