【日本代表W杯の軌跡】最後まで貫かれた攻めの姿勢|2010年南アフリカ大会・パラグアイ戦

2014年06月12日 週刊サッカーダイジェスト編集部

カウンターのチームにボールを持たせる作戦は見事奏功。

パラグアイの攻撃力を半減させるだけでなく、攻める姿勢も貫いた日本。勝利は十分に手の届くところにあったが……。 (C) SOCCER DIGEST

 日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、戦前はおおいに不安視されながらも、本番では一転してサムライたちがアフリカの大地で頼もしい姿を披露した2006年大会だ。
 
 当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
 
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 日本が作り出したスローペースに、パラグアイは困惑しているようだった。前半のボールポゼッションは、パラグアイが61パーセントで圧倒的に支配していた。ところが、彼らが得意とするのは堅守速攻のスタイルだ。ボールを持たされる格好となり、リズムに乗れずに日本を攻めあぐねていた。ネストル・オルティゴサのパスは微妙にずれて、ロケ・サンタクルスやルーカス・バリオスに良いボールがなかなか供給されない。
 
 日本にとってそれは、グループリーグ初戦のカメルーン戦とよく似た展開だった。しかし、あの時と決定的に違うのは、日本がカウンターという武器を身につけていたことである。初戦の時にはほとんど見られなかった攻撃への自信と、ゴールへの強い意欲――。日本が大会期間中に成長したことを示すものだった。
 
 22分には大久保嘉人がドリブルを仕掛け、こぼれ球を松井大輔がダイレクトでシュートに持ち込む。40分には右サイドを抜け出した松井のパスから本田圭佑がシュートを狙う。受け身に回っていたわけではない。カウンターという"ナイフ"を相手の喉元に突きつける戦いができていたのだ。
 
 攻撃への意欲を持ち合わせていたのは、選手たちだけではない。指揮官もまた、攻めの姿勢を貫いた。20分過ぎには「本田が孤立気味だったため」(岡田武史監督)、遠藤保仁をトップ下にした4‐2‐3‐1に変えて攻撃の人数を増やすと、後半には選手交代でも積極的な姿勢を見せた。

次ページPK戦で散るも、地元のファンをも魅了した日本の闘志。

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