「ゴールのない練習環境」「銃殺された仲間」――史上初のW杯出場に歓喜したパナマ代表の実情を英国人監督が告白

2018年03月29日 サッカーダイジェストWeb編集部

ゴールもないピッチで練習をした日々。

国民の夢を叶え、嬉し涙を流したパナマ代表戦士。その背景には壮絶なドラマがあった。(C)REUTERS/AFLO

 昨年10月、カリブ海に浮かぶ小国は歓喜に酔いしれていた。
 
 2017年10月10日、パナマはロシア・ワールドカップ北中米カリブ海地区予選で、コスタリカを終了間際の勝ち越しという劇的なかたちで下し、史上初の本大会出場という夢を実現させた。
 
 その喜びようは凄まじかった。同国のファン・カルロス・バレーラ大統領はツイッターの公式アカウントで「このチームは歴史を作り、400万人のパナマ国民の夢を叶えた。この歴史的快挙を祝おう!」と訴え、翌日を国民の休日に制定。さらにこの日に始業した企業に従業員へ追加ボーナスを支払うように命じてもいた。代表チームの成し得た偉業は、それほどに称えられたのだ。
 
 1937年にサッカー協会が組織されてから足掛け81年でようやく踏み出した世界へのステップ――。その前途は決して平坦なものではなかった。
 
 とある人物が英国紙『Daily Mail』で、パナマのこれまでを告白して話題となっている。ロシアW杯を前に実情を赤裸々に語ったのは、イングランド人で、現在パナマU-17代表を指導するガリー・ステンペルだ。
 
 パナマ人の父とイングランド人の母の間に生まれたステンペルは、現在60歳。6歳で母親の故郷に移住し、サッカーの母国でその知見を養い、1980年代にはミルウォールの役員を務めていた。


 
 そんなステンペルがパナマに戻ったのは1996年のことだ。サンフランシスコとパナマ・ビエホという2つの地元クラブを率いた。その手腕は高く評価され、2002年にはサッカー協会からオファーを受け、パナマU-20とU-23チームの代表監督となり、2003年には同国を史上初のワールドユース(現U-20ワールドカップ)へと導いた。
 
 ユース年代の躍進を支えたステンペルは、2008年に満を持して同国のA代表監督に就任した。しかし、当時のパナマにはフットボールが文化として根付いておらず、国民の関心は、元ヤンキースの名投手マリアーノ・リベラなど、多くのメジャーリーガーを輩出していた野球に傾いていた。そのため、A代表ですらも、練習環境は劣悪だったという。
 
「施設の状態は、とても悪かった。基本的なことが何もできなかったんだ。シャワーはなかったし、ピッチにゴールがないまま練習をしたこともあった。砂利と泥にまみれながらね。私もボールを3つか4つ買ったよ。ビブスがなかったから、選手たちのTシャツを代用し、さらにウォータークーラーの代わりに、近くの教会にあったバケツを使った。選手たちは常に、穴の開いたスパイクを履いていた」
 
 試合中に相手サポーターから尿の入った紙コップを投げつけられたこともあったというステンペルは、辛抱強く指導を続け、現代表の主力となっているロマン・トレース(現シアトル)、マイケル・ムリージョ(現NYレッドブルズ)、アニバル・ゴドイ(現サンノゼ)をアメリカのMLSに送り出した。
 
 この時期はまさに、「生き残るための戦いの日々」だったという。
 

次ページ「W杯出場が夢」と話した同胞の死を乗り越えて――。

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