【日本代表W杯の軌跡】あまりに苛酷な現実|2006年ドイツ大会・オーストラリア戦

2014年06月06日 週刊サッカーダイジェスト編集部

イメージどおりの守備でリードを保ち続けた84分間。

幸運なかたちで先制した日本。ここから、プランどおりに90分間が過ぎると思われたが……。 (C) SOCCER DIGEST

 日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、日本サッカーの恩師とも言うべきジーコがタレント揃いのチームを率いるということで、大いに期待を集めていた2006年大会だ。
 
 当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
 
――◆――◆――
 
 この日を待ち焦がれていた。
 
 紆余曲折があった4年に及ぶ歩みのすべては、初夏のドイツで昇華させるために費やされたものだ。11人の日の丸戦士たちが、カイザースラウテルンの戦場に姿を現わす。こわばった表情のなかにも、凛とした佇まい。ボンで見せていた迷いのいっさいは、消し飛んでいた。
 
 中田英寿はこう話す。
 
「普段どおりの力を出せば問題ない。でも、それができないのがこのチームの問題。簡単ではないけど、全力を出せばきっと勝てると思う」
 
 開始5分、マーク・ビドゥカにいきなりエリア内への侵攻を許し、川口能活を立て続けにピンチが襲う。しかし、日本に臆するところはない。
 
 オーストラリアの標的であるFWのビドゥカをいかに封じ込め、2列目からの突破を食い止めるか。試合までの1週間、日本はハイボールへの対応を幾度となく練習し、リスタートのマーク確認には最も時間を割いていた。
 
 福西崇史と中田英の2ボランチは3バックと前線との距離感を図りつつ、無闇な飛び出しは極力控え、中村俊輔と2トップに高い位置取りを維持させる。堅守から素早くタテに展開するスタイルの熟成を、急ピッチで進めていた。
 
 そして実戦の舞台でも、彼らはイメージどおりにオーストラリアを囲い込み、ビドゥカにボールが入れば個々が見事な役割分担でスペースを埋め、攻めては柳沢敦と高原直泰が頻繁に位置を換えつつ、攻撃にリズムをもたらす。コンパクトさを保ち、チーム全体の動き出しで逆襲に備える。フィジカルで圧倒される部分は気力で補った。
 
 そして26分、日本は中村の右サイドからのクロスがそのままゴールへと吸い込まれて先制する。GKへのファウルがあったと敵将フース・ヒディンクは猛抗議するも、判定は覆らず。幸運な形ながら、欲しかった先制点を奪ったことで、日本の守備意識はさらなる高まりを見せた。
 
 後半になっても、日本のバランスは良く、次第にロングボールを多用し始めるオーストラリアに対し、ライン設定を低くしてセカンドボールへの反応に神経を研ぎ澄ませる。坪井慶介の負傷離脱を受け、急きょ、茂庭照幸が送り込まれることになったが、心配された連携面はいたってスムーズだった。

次ページ想定内だったにもかかわらず、残り6分で力尽きる。

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