【日本代表W杯の軌跡】悠々と悲願成就|2002年日韓大会・チュニジア戦

2014年06月04日 週刊サッカーダイジェスト編集部

バランスを崩してでも勝負に出たトルシエ監督の英断。

トルシエ監督の期待に応え、後半から出場していきなり先制点を挙げた森島。チームはここからさらに勢いを増した。 (C) SOCCER DIGEST

 日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、日本中がワールドカップフィーバーに沸いた2002年大会だ。
 
 当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
 
――◆――◆――
 
 決勝トーナメント進出を決する大事な一戦、トルシエ監督はロシア戦と全く同じ布陣を敷いてきた。高次元のバランスのなかで、まずは相手の出方をうかがう。余裕のなせる業だろう。隙間なく自陣に張りつくチュニジアに対し、日本は素早い揺さぶりと細かいパスを主体に、慌てず、騒がずのトライを続けていく。
 
 しかし、縦へ超高速で打ち込むクサビがことごとく跳ね返される。FKとCKで様々なバリエーション見せながら好機を探ったものの、なかなか決定打を繰り出すことができない。閉塞感を抱えたまま、前半を終えた。
 
「あのままではゴールは遠いと感じていた。だから賭けに出た。ジョーカーを切ることにためらいはなかった」
 
 あえてバランスを崩してでも勝負に出たのは、ここまで抜群の采配を見せてきた"ムッシュ"トルシエだった。
 
 稲本潤一に代えて森島寛晃を投入。明神智和をボランチに配し、右に偏りがちだったサイドアタックを促進すべく、市川大祐を送り込む。中盤のバランスは保てるのか。どっちに転んでもおかしくはない。ルーレットが激しく回りだす。しかしこの緊迫した時間帯で、日本は鮮烈なゴールを叩き込んでみせる。それは交代から、わずか3分後の出来事だった。
 
 中田英寿とのパス交換から鈴木隆行が右サイドのスペースに躍り出る。懸命に足を伸ばすチュニジアDF。ボールが中央にこぼれる。これを見事に読んでいた森島が、ゴール左上に豪快なシュートをねじ込んだのだ。

次ページ攻める姿勢を貫き通すことですべての外圧を克服した。

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