「もう葛藤はない」禁断の移籍を選んだ齋藤学が示した覚悟

2018年01月22日 本田健介(サッカーダイジェスト)

「自分にとって一番厳しい道を選ぼうと決めた」

川崎の新体制発表会見に登場した齋藤。背番号は37番に決まった。写真:山崎賢人(本誌写真部)

 昨季は横浜で10番を背負い、キャプテンを務めた齋藤学の川崎への移籍は驚きを持って伝えられた。しかも新天地が神奈川のライバルチームとあって、厳しい声も寄せられたという。

 
 齋藤はなぜ8歳から育った横浜を離れる決断を下したのか。1月21日の新体制発表会見に登場した男は胸の内をこう明かした。
 
「(川崎は)攻撃的なチームなので自分の特長であるドリブルやクロス、シュートやラストパスのレベルをもうひとつ上げられると思いました。レベルの高い選手たちと一緒にプレーをし、またそのプレーを間近で見ることは大きな成長につながると感じました」
 
 サッカー選手としてさらに高みに上りたい。そのための「なにかを見つけるためにフロンターレに来た」と話す。
 
 昨年9月には右膝前十字靱帯を損傷し、全治約8か月と診断された。それでも2年連続でオファーをくれた川崎の熱意にも心を動かされたという。
 
「いくつか話はもらっていましたが、怪我をしたなかで評価が変わらないオファーをもらえたのは嬉しかったです。正直な話、(横浜を)出る気はなかったですが、(オファーをもらい)少し心を揺さぶられたのが(移籍の)ひとつの要因だと思います。
 
 キッカケやどうしてそうなったかは言えない部分が多いですが、最終的には周りがどうこうというより、自分にとって一番厳しい道を選ぼうと決めました。ここで試合に出て、ポジション争いをするのが一番厳しいと感じました」
 
 賛否両論の声はある。それでも前に進もうと覚悟を決めている。
 
「今日、初めてフロンターレのユニホームに袖を通し、活動に参加したというのもあります。ただ、皆さん知っていると思いますが、(1月19日に)SNSでメッセージを綴り、その日にマリノスへの挨拶も済ませて、区切りというかケジメをつけました。そういう意味では1日空きましたが、ここからはフロンターレの選手として自分がすべきことをしようと思っています。もう葛藤はないです」
 
 そう毅然と語る齋藤は「自分が決めた道なので」という言葉を繰り返した。
 
 リハビリは今後も続くが、早期復帰への見通しは明るいようだ。
 「(診断された)8か月はかけたくないです。もう少し早く復帰できると思います」
 
 川崎デビューを飾れるのは開幕から少し経った春頃か。2008年に横浜の2種登録選手として背負った「37」番を再び身に纏い、リスタートを切る男はどんな飛躍を見せてくれるのか大きな楽しみである。
 
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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