東福岡伝説の3冠…オートマチズムの完成と11人のスペシャリストたち(中編)

2017年12月27日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

屋台骨となってチームを支えた寡黙なワンボランチ

攻守にタレントがひしめく「ヒガシ'97」において、実はもっとも欠かせなかったのがこの宮崎。システムの中央に陣取り、精鋭軍団をひとつにまとめた。(C)SOCCER DIGEST

 東福岡伝説の3冠。当時の先発11人の名がいまでもすらすら出てくるのだから、人間の記憶というのは不思議なものだ。
 
 正守護神は屈強なフィジカルを誇る玉浦寛敏(3年)。4バックはやや変則気味だ。攻撃時は右SBの山崎理人(2年)が前にせり出し、金古聖司、千代反田充(ともに2年)、主将の手島和希(3年)の3人がそのぶん右にスライドする。左SBの手島はほとんど攻め上がらない。ワンボランチは職人肌の宮崎啓太(3年)。右ウイングに韋駄天・古賀大三(3年)、左には強力なキャノン砲を左足に宿す古賀誠史(3年)。2シャドーは圧倒的なキープ力とパスセンスを誇る宮原裕司(2年)と、攻撃の万能アタッカー・本山雅志(3年)が担い、1トップは運動量とポストワークが売りの1年生FW寺戸良平が陣取る。
 
 1年間を通してほぼ不動だったこの11人が、信じられないほどのオートマチズムを確立させていた。いわば11人のスペシャリストの競演である。志波芳則監督は、その育成に尋常ではない精力を注いだという。
 
「これでもかというくらい、個々で反復練習を繰り返させましたね。例えば、古賀大三という選手がいる。テクニックはなかったけど、足だけは抜群に速かった。中央の本山や宮原から右にいいパスが出る。大三は追いつきこそするんだけど、トップスピードのままダイレクトでいいクロスを上げられないわけだ。だいたいゴールラインの裏側に行ってしまう。1年の時は1年間ずっと、その練習ばかりさせた。ちゃんと上がるようになったのは2年の新人戦くらい。コーナーフラッグにめがけてボールを蹴れば、大三がしっかり食らいついて、確実にクロスを送れるようになってましたよ。一方で左の誠史は走るのが嫌いだから、足下に入れてやる。そこからワントラップでガツンとクロスを入れる、あるいは直接ゴールに撃ち込む。中央でクロスが合わなければ、大三がファーで上手い具合に詰めよるんですよ。個性に合わせて良いところを伸ばしてましたが、互いが互いの個性をよく理解していたチームでしたね」
 
 本山や宮原、金古、古賀誠らは図抜けたタレントの持ち主で、3冠チャンピオンを象徴するヒーローたちだ。しかし、あのオートマチズムをチームの屋台骨となって支えていたのは、ワンボランチの宮崎だった。先生はそう断言する。
 
「11人のファーストメンバーのなかで、福岡県外の出身は宮崎だけだった。佐賀の嬉野の子でね。彼がいたから、あのときのヒガシがチームとしていい意味でまとまった。本当に寡黙で、ピッチではいぶし銀の働きを見せてくれましたよ。右から来たボールを左に、左から来たボールを右に確実に捌く。これがものすごく大事で、簡単なように見えてなかなか難しい。一連の動作をどんなスピードでも、どんなプレッシャーに晒されても、あの男はやり通した。必死に頑張って練習し続けてね。両ワイドは絶対に球が来ると信じているから、準備して待ち構えられる。宮崎がすべてのスイッチを入れていたわけです。普段はぽつぽつとしかモノを言わない。僕はああいう物静かなのがすごく好きでね。自分を見ているようで。違うか(笑)」

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