【W杯ドキュメント】メンバー発表のドラマ|カズと北澤の緊急帰国に揺れた98年

2014年05月07日 週刊サッカーダイジェスト編集部

当初は外れたカズ、北澤もチームに帯同する予定だったが……。

日本中が注目するなかで信念を貫いて選手を選別する作業は、岡田監督にとっても苦痛に満ちたものだったようだ。 (C) SOCCER DIGEST

 多くの名勝負が後世に語り継がれていくワールドカップだが、4年に一度の大舞台に立つ権利を得るための、チーム内での争いは激しく、時に本大会での記憶が霞むほどのドラマを生み出すこともある。
 
 これまで4大会に出場した日本。戦いに赴くメンバーを決定する過程で、指揮官がどれほど苦悩・苦慮して非情の判断を下し、選手はこれをどう受けて止めてきたのか――。
 
 ブラジルへ向かう23選手の発表が目前に迫った今、過去4大会の"運命の瞬間"を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく。第1回は、日本サッカー史にも残るサプライズが起こった、1998年フランス大会だ。
 
――◆――◆――
 
 岡田武史監督の意志は堅かったに違いない。22名の代表選手発表(98年6月2日)の前日、何度も強調するように語っていた。
 
「外れる3人の選手にも(大会の)最後までチームに残ってもらい、日本代表は25名で戦う」(岡田監督)と。
 
 すでに外れる3人の大会用パスも用意され、事前の準備も整っていた。
 
 しかし、その通りに事は運ばなかった。「外れる選手とは一人ひとりと話して回った」と言う岡田監督は、三浦知良、北澤豪、市川大祐の3人がチームに残り、今後も行動を一緒にすると語っていたのだが、後にこれを撤回し、カズと北澤を帰国させた。
 
 前日までの確固たる意志を覆してまでカズと北澤を帰国させた背景には、ふたりの落胆ぶりとその影響力の大きさがある。
 
「予想以上に選手のショックが大きい。今後も(カズ、北澤と)行動を共にすることは、チームにとってマイナスになると思い、帰国してもらった」と岡田監督はそう説明した。
 
 その言葉通りに受け取れば、外れたカズと北澤のショックが"予想以上に"大きかったということになる。開幕が迫ったこの時期に22名の登録メンバーを外れ、W杯出場の望みを奪われた選手が、どういった反応を示すか。選手によってその反応が一様ではないことは、察しがついたはずだ。「当初の見込みが甘かったのかなとも思う」という岡田監督だが、今回の騒動に関しては、決断する側の読みが甘かったと断言してもいいだろう。
 
 下した決断については何も言うことはないが、その過程とアフターケアについては、4年後に向けて大きな課題を残したと言えるだろう。

次ページメンバー発表当日の朝に「最後はひとりで決めた」(岡田監督)

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