【連載】蹴球百景 vol.28「あの歓喜から20年」

2017年11月10日 サッカーダイジェスト編集部

今では想像できない喜怒哀楽が当時はあった。

当時のチケット。日本代表がワールドカップ初出場を決めた記念品だ。写真:宇都宮徹壱(Tokyo. 2017)

 今年の11月は、いつもとは異なる感慨を抱くサッカーファンが多いのではないか。今月16日の木曜日で、あの「ジョホールバルの歓喜」から調度20年になる。ワールドカップ初出場が悲願であった日本代表は、最終予選2位でイランとの3位決定戦に回り、マレーシアはジョホールバルでの一発勝負で延長戦の末に岡野雅行のゴールデンゴールで勝利──。そんなこと知っているよ、というツッコミがあるかもしれない。だが最近の20代の若者たちには、こうした説明が必要だ。なにしろあれから20年が経っているのだから。
 
 今から20年前の97年といえば、私自身は調度フリーランスになったこともあり、焦りや辛さばかりの記憶しかない。時代背景も、どちらかと言えば暗かった。消費税が3パーセントから5パーセントにアップし、北海道拓殖銀行と山一證券が破綻した。神戸連続児童殺傷事件が起こったのもこの年。「この先、この国はどうなるんだろう」という不安ばかりが募った。だからこそ日本のワールドカップ初出場は、日本中に希望の灯火を与えることとなった。その状況は、2011年のなでしこのワールドカップ優勝を思い出すと分かりやすいだろう。
 
 先日、私が主催するウェブマガジンの企画で、ジョホールバルを現地で経験した人たちを集めて座談会を行なった。おそらく今年の11月16日に向けて、こうした企画があちこちのメディアで行なわれるはずだ。そしてその語り部は、当時ピッチに立っていた選手やベンチにいたスタッフ、あるいは記者席にいたジャーナリストやゴール裏の有名サポーターに限られるだろう。だが、私はあえて市井のサポーター(当時20代から40代の男女)に集まってもらい、彼らが現地で見たものや体験したことについて、率直な言葉で語ってもらった。
 
 なぜ、市井のサポーターにフォーカスしたのか。理由はいろいろあるが、私が明らかにしたかったのが、ジョホールバルが当時の一般的な日本人に与えたインパクトである。今でもよく覚えているのだが、テレビ朝日の『ニュースステーション』で派遣されたアナウンサーの小宮悦子さんが、ワールドカップ出場が決まったときに発した言葉である。「こんなに幸せな気分って、生まれて初めてかもしれない」──何を大げさな、というツッコミがあるかもしれない。しかしそれが、今から20年前の多くの日本人が共有していた想いであった。
 
 ちなみに私自身は、ジョホールバルの歓喜をマレーシアでも日本でもなく、取材先の韓国でTV観戦していた。だが、岡野のゴールデンゴールが決まった瞬間、なぜか映像がブチっと途切れてしまう。これでは、日本の予選突破が決まったかどうか分からない。もちろん今みたいに、ネットですぐに確認できる時代ではなかった。結果として、私が日本のワールドカップ出場を知ったのは、翌17日の午後のこと。「ワールドカップ出場が当たり前」となった今では、まったく想像できなくなった喜怒哀楽が、ほんの20年前には間違いなくあったのである。
 
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式ウェブマガジン『宇都宮徹壱ウェブマガジン』。http://www.targma.jp/tetsumaga/
 
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事