「4か月で6億円よりもアトレティコ復帰」ジエゴ・コスタの想いが結実

2017年09月22日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

フェネルバフチェは破格のオファーを出したが…。

昨シーズンはチェルシーのプレミア制覇に貢献したD・コスタだが、コンテ監督と揉めてアトレティコ復帰の道を選んだ。(C)Getty Images

 スペイン代表FWのジエゴ・コスタの2017年は、波乱万丈という言葉そのものだった。1月の時点ではプレミアリーグで得点王ランキングのトップを走っていたものが、9月を迎えて移籍マーケットがクローズして以降は事実上"所属チームなし"になっていたのだから……。
 
 その間に起こったのは、アントニオ・コンテ監督との度重なる口論、年俸1500万ユーロ(約19億円)という中国からの超高額オファー、彼のゴールのおかげで手に入れたプレミアリーグ優勝のタイトル、そしてコンテからの「お前は戦力として計算していない」という戦力外メール……。今夏のメルカートで売りに出されたのは当然だった。
 
 その後にD・コスタは、生まれ故郷ブラジルで孤独なトレーニングを続けていた。行きたいチームはただひとつ、古巣のアトレティコ・マドリーだけだと言い続けて……。
 
 今夏のアトレティコが補強禁止処分を受けていたにもかかわらず、ミランにもエバートンにも中国にも、そしてフェネルバチェにも「NO」という返事を返した。12月までの4か月で給料500万ユーロ(約6億4000万円)という破格のオファーだったにもかかわらずだ。
 
 9月8日までメルカートが開いていたトルコから飛び込んできたこのオファーに対して、最初は「YES」と言ったD・コスタだったが、そのうちごね始め、最後に返したのはまたもや「NO」という返事だった。
 
「アトレティコ以外には行かない」
 
 その想いは、ついに結実する。現地時間9月21日、チェルシーとアトレティコはD・コスタの移籍に関して条件面で合意に達したことを発表した。
 
 選手登録してピッチに立てるのは、もちろん来年1月から。ワールドカップを控えた大事なシーズンの半分を棒に振る。それでも悪童ストライカーは満足だろう。愛する古巣に復帰するという唯一の希望が叶ったのだから。
 
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
 
※当コラムではディ・マルツィオ氏のオフィシャルサイトにも掲載されていない『サッカーダイジェストWEB』だけの独占記事をお届けします。
 
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にジョゼップ・グアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
 
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