【小宮良之の日本サッカー兵法書】価値観、スタイル、人格…多様性に満ちたサッカー界で持つべきものとは?

2017年08月24日 小宮良之

勝つために「美しさ」を求める

勝つためのサッカーがスペクタクルに満ちたものとなる国もあれば、美しさにこだわって名誉ある敗北を受け入れるチームもある。競技の前提とも言える「勝利」についても、その価値観は様々だ。写真はブラジル代表。 (C) Getty Images

 サッカーとは、「多様性を受け入れる」ことなのだろう。
 
「プレーを楽しむ? 試合に負けて、どうやって楽しい気持ちになれるのさ? 美しいプレーと言われても、勝つためにやっているだけだよ」

 90年代から2000年代にかけて、デポルティボで活躍したブラジル代表MFのジャウミーニャは、かつてインタビューでそう言い放ったものである。
 
 ブラジル・サッカー=「ジョゴ・ボニート(美しいプレー)」――。そう喧伝された時期があった。
 
 しかし、ジョゴ・ボニートの権化のような男は、勝利を目指すなかで、手段のひとつとして美しいプレーを選択していたに過ぎなかった。ボールを浮かし、相手の頭上を抜いたのは、それが有効だったからだ。彼にとって「美しさ」は、相手を打ちのめす手段になっていた。
 
<勝つためには、どんな方法だっていい>
 
 日本では勝利への執着を語る時、その表現はネガティブな意味合いを孕む場合が少なくない。荒っぽいファウルで相手を止めたり、ベタ引きでカウンター狙ったりする。まさに、なりふり構わぬ手段だ。
 
 しかし、「美しさ」も同様に、勝利のメソッドになり得る。美しさというと、脆さを連想させるかもしれないが、ジャウミーニャは「強靱さを伴った美しさ」を語っていた。つまり、サッカー選手やピッチでのプレーを、ひとつの常識や道徳で縛り付けるべきではないということだろう。
 
 例えばアルゼンチンでは、あらゆる敗北が決して肯定されない。信じられないかもしれないが、彼らには「負けを糧にする」というメンタリティーがないのである。日本人なら、「挫折をバネに――」というのはスポーツにおける物語の王道にもなっているだろうが、地球の裏側では、それは理解されない。
 
<負けて学ぶことはない。勝者が成長するのだ>
 
 その切迫した境地こそが、アルゼンチンをサッカーという競技では世界有数の大国に押し上げている。アルゼンチン人には、「勝つことでしか学べない、成長できない」という独自の規範があるのだ。

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