シャルケ退団の背景に何が? 過去のコメントから探る“内田篤人の心情”

2017年08月22日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

なぜ移籍先がドイツ2部のウニオン・ベルリンだったのか。

ウニオン・ベルリンへの移籍が決まった内田。(C)Getty Images

 2017年8月22日、内田篤人のウニオン・ベルリン(ドイツ2部)への移籍が決まった。そういえば、彼は2016年12月末にインタビューした際、「シャルケとの現行契約は2018年6月まで。そう考えると、2017年は勝負の年になる?」という質問に、こう答えていた。
 
 
「毎年が『勝負』ですけど、この半年は特に重要ですね。ただ、ずっとシャルケにいたいとは思わない。もう7年もいて、だいぶお世話になったので。やる気がないわけではなくて、もちろん契約延長のオファーをもらえれば嬉しいです。ただ、他の選択肢があるなら、それを考えてもいいのかなと」
 
 しがみついてでもシャルケに残るというスタンスではなかったということだ。もちろん、今季、シャルケでレギュラーの座を確約されれば"残留"という選択肢もあっただろうが、実際はバックアッパー。ライプツィヒとのブンデスリーガ開幕戦ではベンチにも入れなかった。
 
 こうした状況で移籍を決断したという背景には、おそらく日本代表の存在もあるだろう。いつも見守ってくれるヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下で、もう一度代表のピッチに立つ。これはひとつの大きな目標でもあったのだ。実際、内田は同インタビューで「2017年の目標は?」という問いに次のように切り返した。
 
「ひとつは3月(の代表戦)。間に合わせるには逆算すると、1月、いや、2月の中旬くらいまでにちゃんと試合に出ないと厳しい。やっぱり重要なのは冬のキャンプ。『俺は動けるよ』というのを監督にアピールしないといけない。最初のほうでも言ったように、現状では(監督の)構想に入っていない。だから、『やれるよ』というのを認識してもらわないといけないんです。それも、できるだけ早く。上手く試合に出られるようになれば、(代表入りの)チャンスはあると思います」
 
 動けるよ、とアピールするには試合に出ないといけない。だとするなら、2018年のロシア・ワールドカップも見据える内田がなによりこだわったのは"出場機会"ということになる。
 
 では、なぜ移籍先がドイツ2部のウニオン・ベルリンだったのか。そこには、監督のイェンス・ケラーとの絆がある。事実、内田は同インタビューで監督との関係について興味深いコメントをしていた。「本格的な復帰は2017年2月、ヨーロッパリーグが再開して過密日程になるタイミングでしょうか?」という質問に対する彼の答は、ケラーとの強い絆が感じられるものだったのだ。
 
「そのあたりかなと。リーグ再開直後のスタメンは絶対にない。もちろん、(ヴァインツィール)監督が僕のことを知っていればまた状況は違っていた。もしかしたら前半戦最後のリーグ戦でベンチに入れたかもしれない。例えばイェンス・ケラー(シャルケでの在任期間は12年12月~14年10月)なら、『頼む、ちょっと頑張ってくれ』という感じで」
 
 内田の真の意味での復活劇は、恩師の下、ウニオン・ベルリンから始まる。
 
文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)
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