鹿島を支えるふたりのOBコーチ、柳沢敦と羽田憲司のいま。彼らの追求する指導者像とは?【前編】

2017年08月09日 寺野典子

「最初は何をしようと考えながらウロチョロしている感じでした」(柳沢)

鹿島をコーチとして支える柳沢(左)と羽田。クラブの哲学をよく知るふたりが指導者として鹿島に戻ってきた。写真:田中研治

 鹿島アントラーズのコーチ陣には、必ず日本人が就任している。
「ブラジル人監督と契約する時には、必ず、日本人をコーチとするよう要請します。というか、その条件が飲めない監督とは契約はしない」
 
 長年、強化を担ってきた鈴木満はそう語り、「そうやって日本人指導者を育て、準備してきた」と話す。
 
 2015年シーズン途中に、トニーニョ・セレーゾ監督が解任され、コーチだった石井正忠が監督に就任。リーグ王者、CWC準優勝、天皇杯優勝と結果を残した。しかし今季、ACLでベスト16での敗退が決まると、石井に代わり大岩剛コーチが監督に昇格。リーグ戦8試合で7勝1分けと成績が一気に回復している。そんなトップチームのコーチをふたりのOBが務めている。日本を代表するストライカーとして君臨した柳沢敦と、将来を嘱望されながら負傷に悩まされたセンターバックの羽田憲司だ。
 
「鹿島へ戻ってきて、コーチの仕事を始めて、今年で3シーズン目。監督交代が二度あり、優勝も経験できた。本当に激動の2年半でした。指導者というものがまだまだ分かっていないなかで、チームの良い時と悪い時に接して、自分がどういうことをしなくちゃいけないかを考えた。力不足、未熟さを痛感する出来事がたくさんあります」
 
 そう語る柳沢は、1996年に鹿島でプロデビューし、その後イタリアへ移籍、2006年に鹿島に復帰するが、2008年には京都へ移籍し、2014年に仙台で現役を引退。翌2015年に鹿島のトップチームのコーチに就任したが、当時は石井、大岩に続く3人目のコーチだった。
 
「現役引退して、すぐにトップチームのコーチに就任。いきなり上手くできるなんて思っていなかったから、気負いもなかった。石井さんや(大岩)剛さんのもとで、いろいろと勉強し、学ぼうと。もちろん、見て盗むという感じですけど、見ているだけじゃ仕事はない。やっぱり自分で探さなくちゃいけないから、最初は、何をしようと考えながらウロチョロしているような感じでした」
 

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